~『選手宣誓』の内容~
若者は時代の世相を映す実像、と言われつつ半分は批判的に中傷される。
「今どきの若いモンは!」と親世代に罵られた日々を、逆転した今、しみじみと自戒しながら考える事象と遭遇した。小生にも「若者時代」があった(笑)。当然ながら当時のオトナの若者批判に反抗した。高校球児の姿をTV画面で追いながら遠い時代にわが身を投じた。今年も84回を重ねる春の高校野球が開幕した。昨年は東日本大震災直後の開催であったが、1年後の今年の開会式を注目していた。それは、年年歳歳、時代と共に変化する『選手宣誓』の内容であった。以下に今回の全文を改めて紹介して共に考えてみたい。
東日本大震災から1年、日本は復興の真っ最中です。被災された方々の中には、苦しくて、心の整理がつかず、今も当時の事や亡くなられた方を忘れられず、悲しみに暮れている方がたくさんいます。人は誰でも答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、見せましょう、日本の底力、絆を。われわれ、高校球児ができること、それは全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
平成24年3月21日 選手代表 宮城県石巻工野球部主将 阿部翔人
情報によると部員が一丸となって考えあわせて文章にしたらしい。文章の巧拙を述べる気は全くないが昨年の宣誓文とはニュアンスが違う。震災に直撃された高校生の実体験が言葉になって表現されているところが大きく異なることになろう。その実体験であっても美辞麗句に変色されがちだった「時代」から、若者の「心からの叫び」を務めて表出できるように配慮した指導者並びに関係者の配意が確かに見える。高校生は少年ではない。地域で最もパワーを持つ集団である。被災地でも「頼りにされるべき」頼もしい青年たちであることがこの震災でも見直されている筈である。そのパワーが感じ取れた。頑張れ、高校生!叫びたくなった瞬間だった。
時代と共に変わる。変わるべきモノは変わらないと世界の潮流と太刀打ちできない。聞き終わった瞬間、「やるなぁ~、高校生」と心強く感じた。ただ、変わってはならないモノまで、無理に変えようとする無謀な努力は考えるべきである。これは蛇足と思いつつも、高校生世代に伝えておきたい。
『不易』と『流行』の兼ね合いを考えさせられた事象であった。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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