2012/03/10

去年の明日

~誰にも予測できない「明日」~
 テレビもラジオも全てが「特集番組」を組んでいる。
 今朝未明の2時25分頃にかなり強い地震に襲われた。耳元に届く地震情報では「余震」であるらしい。目を閉じたままに言葉情報だけで老脳は1年前の生活を思い出していた。
引っ越しが決まり、月末には茅ヶ崎を離れる郷愁に浸っていた頃である。退職直後に九州に生活母体を移行した(両親の介護のため)時点とは違い、一家転住であるので周囲にもそれなりのご挨拶も必要だ、等々の身勝手な想像の世界で気を病んでいた。そんな頃だっただろうか。
 そして、去年の明日。こんなに長く、強い地震を体感したことは無かった。ライフラインが確立していることを無意識のままにTV画面に映し出される怪獣ドラマでキングコングやゴジラが登場して来る映画でも見ているかのような「津波の恐怖」に釘付けになってしまった。恐ろしさの結末すら容易に想像できないままに数時間が流れてしまったのが、「去年の明日」の夕刻である。
その後、消費電力の課題が突きつけられることすらも考えていない「平和ボケ・便利ボケ」の自身を、1年後の今となって恥じ入っている。あれから1年。被災地の皆さんの「言葉では言い表せない」悲喜こもごもな出来事を思い遣っても、やっぱり貧相な人生を歩んでいる自らを責めてしまう。
 明日の予測はできない。
 額面ではわかっているが、本質ではわかっていないようだ。そんな思いに心痛を浴びせながら余震に恐れている自らがここに生きている。
 冷たい雨ではないようだが、被災地や避難所で苦しい生活を強いられている皆さんにとっては哀しい雨の朝なのだろう。
 何も出来ない当方にとって、今出来ることを懸命に努めることで予測できない明日に向かって生きていくしかない。そう心に誓う涙雨の朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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