2012/03/23

耳が保つ「記憶力」

~受話器の向こうに映る姿~
 携帯電話が鳴った。
「先生、お元気でしょうか?ご無沙汰ですみません」
 着信画面に登録済みの氏名が出るので電話の相手は事前に判明する時代ではあるが、時として人によってはわが耳を疑う場合もある。余りの変容ぶりに容姿さえ忘却して焦った経験もある。
 「お~、〇〇先生、かい?!」「はい、そうです」
 現職地(神奈川県茅ケ崎市)での知人ではない。退職してからの県外の学校訪問で知り合った先生の一人である。その期間は僅か2年間でしかない。しかし、その間の交際は密度の高いモノであったことは事実として記録に残っている。その後は、つくば市での研修で上京された機会に一度だけ東京で再会しただけのお付き合いである。メールの交信と時に触れて電話で声に触れたことはあったが親密度は高くもなかった。
 人事異動を知らせる電話内容だった。
 実母と義母の同時介護をご夫婦でご苦労されている様子は情報として活字ではキャッチしていたが「生の声」での交信は久しぶりだった。「おかあさん方はお元気ですか?」の問いから会話が始まったのは自然体だった。
 まるで昨日も会っていたかのような錯覚を起こすほどに会話が弾んだ。ご栄転の内示があったとの報告にこちらも心から祝福するモードになった。先輩らしく何点かのアドバイスを伝え、学校訪問への約束をして再会を誓い合って電話を切った。
 耳が保つ「記憶力」の威力。
受話器の向こうに映る姿が想像できる聴解力の偉大さに我ながら感動した。4月からの活躍を念じつつ再会できることが楽しみになった。そんな後輩の目に映る老輩の廃頽ぶりを見抜かれるのも少々怖い気もするが、やはり、「嬉しい」春一番の電話であった。心身ともに健康管理に気を付けて残りの在職期間を有意義に過ごして欲しいと祈る春の朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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