~重要なことは「新陳代謝」~
内示の段階でも新年度の「身の振り方」を情報として知らせていただく時期になった。卒業式を終えた小中学校の校長先生達からも数通のメールを受信している。当然ながら大願成就の定年退職をされる校長先生方からである。
8年前の瞬間を思い出す。それは定年退職を1年後に迎える予定の校長が、「青天の霹靂」の如くに、藪から棒の退職宣言をして当時の職場を混乱のどん底に貶めた罪人となったシーンのことである。
一身上の都合上。
まさに小生の退職はその物ズバリであった。辞める半年前には(退職関係)書類上の処理も進んでいた当人の心には未練や曇りの微塵も無かった。むしろ、そのポジションにあった者がいなくなれば、否応なしに誰かがそのポジションに就くことになる。それが組織運営の活性化に繋がると確信していたからでもある。しかし、「あと1年間は在る」という時空の中では、当時の関係各位には寝耳に水の情報として飛び込んだようだった。いわゆる、パニック状態となった。諌める言葉を見つけるどころか、自身も初めて知った情報に自らを奈落の底に落とされてしまった状況下の(当時の)教頭さんには大変迷惑を掛けてしまった。しかし、理不尽な人事異動には「嵐が去る」のをじっと待つしか手が無いのでは?この時期になると、「多大な迷惑」(=教職員の代表の弁)を掛けたことを詫びている老輩である。
しかし、信念は揺らぐことは無い。新陳代謝は組織の老朽化防止には欠かせない。去る者があれば来る者もいる。人生には不安は付き物である。
管理職への登用で内示のご報告を頂戴しているが、「今の気持ち」を忘れずに心身共の『健康管理』に留意されて、学んできたことを後輩諸氏に伝授してあげて欲しいモノである。凡庸な先輩ではあるが心底から願っている。
そして、この3月で「教育界の現職」を去る後輩諸兄にも長年の労苦を労いつつ機会を見つけて後輩への苦言を呈することが出来るような先輩として「新しい土俵」でのご活躍を期待して止まない。これは心底からの祈りである。そして、小生と「毎日サンデー」の仲間として、たまにはゆっくり一献を傾けながら「今だから話せる」話題に花でも咲かせようではありませんか。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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