~老齢者の域に侵入?~
5年前に老衰寸前の義父と一緒に夕暮れの時間を過ごした。
最終的には病院で過ごすことになった義父ではあったが、自宅で最期を過ごした頃、大相撲の中継を楽しみにしていたようだった。福岡場所の画面を見ながら観客の少ないことを憂うような発言をしたことがあった。意識も朦朧としている日々を過ごしながらも長年親しんで視聴した「大相撲」風景から何らかの刺激が伝わったのかも知れない。生まれ故郷が九州であったことも要因か。
昨日、相撲のTV観戦をしている所に4歳の孫がやって来た。
「お祖父ちゃん、寒くないの?」と藪から棒の質問に「寒くないよ」と画面を見詰めたままに応えると「裸でいると風邪引いちゃうよ」と畳み掛けてきた。「えっ?」と発するとソファ椅子の縁にちょこんと座ったまま画面を凝視している孫の真剣な眼差しがそこにあった。
お年寄りと一緒に視る番組。
昔からそんな風潮があったことも意識はしていたが、その「お年寄り」の域に小生も完璧に一歩(?)を差し込んでいるようだ。「お祖父ちゃんはお相撲が好きだ」と評価されていることを老妻が発見した。「僕も、お祖父ちゃんと『はっけよい』をやりたいな」と老妻に向かって言ったのだそうだ。『はっけよい』とは、相撲の行司さんの発する言葉をTV中継からキャッチしたのだろう。
畳の上で孫と「お相撲ごっこ」に興じるお祖父ちゃん。
「様になっている」、と老妻がからかう。自らの実感は無いが傍から見れば祖父と孫の戯れは確かにそんな評価に繋がるのだろう。大相撲ファンとして、久しぶりに応援したくなるほどの「ご贔屓・日本人力士」が出現した。決して外国人力士を排斥するような感覚からではない。この意識こそが「老齢者の域」に足を入れ込んだ証明のようだ。
タイミングよく「お相手」をしてくれる孫の存在が拍車を掛けてくれているのが「微妙な苦笑」を産んでしまった夕暮れの娯楽の時間である。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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