2012/03/19

「お彼岸」の集合体

~先祖も喜ぶのかな?~
 娘一人。
 義父母にとってはそこが「ご先祖様」の始発点だろうか。孫が3人に曾孫が5人と子孫がホンの少しだけの増加である。転居して初めての「春の彼岸」を迎え、墓地のある当地に(小生の)孫たちがやって来た。合流するのは年に数回しかないが、血縁と言う「見えない繋がり」は抵抗するどころから昨日も遊んだ関係者の如く時間の経つのも忘れたように夢中である。例によって「帰りたくない」「泊まりたい」の連呼の時間がやって来た。
 義父母が眠る墓地の菩提寺には立派な鐘楼がある。
 去年までは大きな音を発するほどの力も無かった孫息子が立派な鐘突き振りを見せた。ゴ~ン、と鳴り響くと「曾祖父ちゃんに聞こえたかな?」と自信満々に質問して来た。「あんなんじゃ、聞こえねぇーな」と小生が意地悪く答えてみたらびっくり。再挑戦をして更に大きな鐘の音が墓地に響き渡った。「十分に聞こえていますよ」と優しい老妻の対応に満足げであった。
 そろそろ、「春を実感する」日がやってくるのだろうか。
 寒冷地で待つ「春」は、東北や北海道の生活者の心情は更に大きいモノだろう。被災地で仮設住宅で「春を待っている」方々の辛さを考えたら甘ったれた発言は控えるべきであると自戒した。
 お彼岸の集合体。それは次々世代(=曾孫)の生きる姿である。祖父の眼にはそう映るのであるが読者の皆さんはどのように考えられるのだろう。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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