~雲雀のさえずりに足取りも軽く~
独り歩禅は午後2時45分の出発。
自宅から5分も歩くと大好きな田園地帯に入る。今日は異常な程の温かさ。汗ばむ陽気と言っても可笑しくない。こんな陽気になると全身が何かに怯えた日々があったことを思い出してしまう。マスクの着用に迫られるだけでなく目の周囲の痒さと鼻水の処理にはホントに悩まされた。テレビでまた恐怖心を煽られるばかりの画面を見た瞬間から(不思議な程に)症状が顕著になるのだから「病は気から」の古諺が恐ろしい程に理解できた(笑)。その症状に対応した常備薬を捨ててから11年が過ぎた。症状が全く無い訳ではないが、殆ど意識しないほどにまでなっている。自身の判決では「無罪放免」である。小生を知っている昔の仲間であれば、「どうしたの?特効薬でも見つかったの?」と質問をまくし立てることだろうか。
全くの無防備(花粉症対策)で歩禅に勇んで出発すると、大好きな雲雀のさえずりに迎えられた。空高くから聞こえる『ひばりの歌声』は、やっぱり良いモンだ。田圃道に入ると、保護色の雲雀たちが乾いた田んぼの中で何かを必死に啄んでいるのが確認できるのだから「雲雀・痛」であることだろう。雲雀たちの活発な動きを見届けると「確かに春が・・・」と独り言が口について出てしまった。
歩禅は「歩きながら自らと語り合う」のが、主たる我が目的であるが、今日のような陽気には乾いた畦道にちょっと腰を下ろして雲雀たちと話したくもなる。水路には未だ水もない。その淵に腰かけてゆっくりしていると遠くを何組もの人の群れが「歩いている」姿が目に入った。長閑である。数分間のとてもリッチな気分に浸ったら、腰を上げて再び歩禅に戻る。
田んぼの縁に、まだまだ「蕾」の梅の花(写真)にも心を奪われた。愛でながら「早く咲いてくれよ」と声を掛けて帰宅した。予定では4時だったが15分遅れの帰着となった。座り込んで「春を満喫した」時間だけの延着であった。僅か5000歩ばかりの歩数ではあったが、久しぶりの歩禅の空気は美味しかった。
独り歩禅は午後2時45分の出発。
自宅から5分も歩くと大好きな田園地帯に入る。今日は異常な程の温かさ。汗ばむ陽気と言っても可笑しくない。こんな陽気になると全身が何かに怯えた日々があったことを思い出してしまう。マスクの着用に迫られるだけでなく目の周囲の痒さと鼻水の処理にはホントに悩まされた。テレビでまた恐怖心を煽られるばかりの画面を見た瞬間から(不思議な程に)症状が顕著になるのだから「病は気から」の古諺が恐ろしい程に理解できた(笑)。その症状に対応した常備薬を捨ててから11年が過ぎた。症状が全く無い訳ではないが、殆ど意識しないほどにまでなっている。自身の判決では「無罪放免」である。小生を知っている昔の仲間であれば、「どうしたの?特効薬でも見つかったの?」と質問をまくし立てることだろうか。
全くの無防備(花粉症対策)で歩禅に勇んで出発すると、大好きな雲雀のさえずりに迎えられた。空高くから聞こえる『ひばりの歌声』は、やっぱり良いモンだ。田圃道に入ると、保護色の雲雀たちが乾いた田んぼの中で何かを必死に啄んでいるのが確認できるのだから「雲雀・痛」であることだろう。雲雀たちの活発な動きを見届けると「確かに春が・・・」と独り言が口について出てしまった。
歩禅は「歩きながら自らと語り合う」のが、主たる我が目的であるが、今日のような陽気には乾いた畦道にちょっと腰を下ろして雲雀たちと話したくもなる。水路には未だ水もない。その淵に腰かけてゆっくりしていると遠くを何組もの人の群れが「歩いている」姿が目に入った。長閑である。数分間のとてもリッチな気分に浸ったら、腰を上げて再び歩禅に戻る。
田んぼの縁に、まだまだ「蕾」の梅の花(写真)にも心を奪われた。愛でながら「早く咲いてくれよ」と声を掛けて帰宅した。予定では4時だったが15分遅れの帰着となった。座り込んで「春を満喫した」時間だけの延着であった。僅か5000歩ばかりの歩数ではあったが、久しぶりの歩禅の空気は美味しかった。
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