~「後で」の不始末を吐露~
日常生活のダイヤは「朝一番主義」で策定している。
早起きを実践することで、一日のリズムを確立しているのであるが昨日は『ちと』手元が狂ってしまった。何気なく「帰宅後にアップすれば・・」の軽い思いが事前予告も無くブログ中断となってしまった。
今朝も4時の起床で、いつもの通りにメールチェックをする。
読者の皆さんも「お彼岸の中日」でご多忙だったのだろうか。珍しく1通の着信も無い。パソコンの故障かと勝手な憶測をするほどの珍現象の朝の出立である。ともあれ、何人かの人には「あれっ!歩禅記はどうしたんだろう?」と訝しがる思いをさせてしまったことは事実であろう。
健康を害したわけでもなく、「ぶらり東京の旅」の悠々な時間をご機嫌で過ごしてきた程の元気である。この「旅」は自己再生の有効な時間として確立している。帰宅すると「予告の訪問客」があった。歓迎の接客をして美酒に酔いしれていると昼間に電話を戴いた大先輩への留守の非礼をしたことも忘れてしまった。妻に促され、電話をした。懐かしい声が美酒の酔いに相乗効果となったのか少々長電話となってしまった。大先輩が教頭職時代からのお付き合いなのでその時代の思い出話も頂戴して懐古の思いが感動を再現させたようだった。電話を終えても入浴を勧められるまで無思考状態に陥ったのがその証である。
今朝の目覚めは悪くない。しかし、昨日のブログ(無断)休刊への反省が過る。
『後で・・』哲学を戒めて生きて来た自分を責めている朝でございます(泣)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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