~「転居の準備完了」だったあの日~
引っ越し便も「春休み(=年度替わり)」を指定すると割高であることを知った転居主は、準備作業を早めていた矢先の出来事だった。年末から年始にかけての降雪で増築工事が引き渡し予定日より1か月以上延びていたこととも絡んで錯綜してしまったので「転居」が当初の予定より1か月遅れたので、2年前の「今日=3月11日」より以前の日の引っ越しは実現していなかった。
引っ越しをしていたとしても、引っ越し荷物は未だ山と積んでい頃であることは間違いない。そんな状態に震災に遭遇していたら、と考えるだけでも背筋が寒くなる。(被災の皆さんには失礼な表現になってしまうのをお許し願いたい)
引っ越しも出来ない焦燥感に追い打ちを掛けるように当地住む長男から「想像を絶する地震だった」との報告。周囲のライフラインの現状を知ると、孫たちの身の安全まで心労が募る。そんな日が(2年前の)今日の夕暮れからおよそ1週間は続いた。思い出しても恐怖心が先行する。
当時の茅ヶ崎も「計画停電」とやらの緊急政策におろおろしたモノだった。
結果的には引っ越し荷物の中では寝ることも儘にならない生活なので震災1か月後(4月11日)に転居して来た。その日も、震災後最大の余震に見舞われ、引っ越し便も柏駅でストップを喰らった。この日の揺れも半端ではなかった。次女夫妻の車で老妻と4人で土浦に向かいながら柏市で停電の渦中に嵌ってしまった。予定よりかなり遅れて夜10時ごろの到着だったが、心配した長男一家は全員まだ寝ていなかった。これから同居する「お祖父ちゃん・お祖母ちゃん」の入居が、孫たちにとってもとんでもない余震に怯える日だった。
あれから、もう2年。
いや、特番のテレビ画面に映る福島・宮城・岩手の現状を知ると贅沢なことは言っておれない。2年も経た現状風景(画面)を見ても被災者の皆さんの苦悩ぶりを聴けば、涙なしでは見聞きできないのである。
一人の老人男性の発言が耳についた。
「オレは、なんも悪いことなんかしてねぇ~」の言葉に日本文化に伝わる「他人を粗末にしたら罰が当たる」という教えに対しての呟きだったのだろう。罰が当たったのではない。自然災害は「忘れたころのやって来られた」のである。
自然の脅威は人間社会の傲慢さを攻めたて始めたようだ。異常な程の花粉の飛翔も70年前に、国民運動として植栽した『杉の木』に苦しめられるとは当時の政治も考えられなかったはずである。怨み辛みは止めにしても、「自然の脅威」を次々世代の孫たちには語る責任があるような「今日の日」である。
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