2013/03/22

新聞記事を読んで

 ~「学歴神話」と『生きる力』~

 同一ページの左右にあった新聞記事を切り抜いた。

 時として妙な取り合わせ(一見したら全く別世界)の記事が並列に載っていることがある。新聞編集者も「こんな見方」をする読者は想定しないだろう。
 

 店を持たずに全国を出張してパスタをふるまう、という石川進之介さん(31)の生活信条は①素材の良さを消さない②客の顔をみて料理する、の二本かな?

広がる格差社会を憂い①「学歴神話の崩壊」に言及して、教育の格差を縮めるために②幼児教育の無償化を提唱する耳塚寛明・お茶の水女子大学副学長。

読者の小生は、開いたままの新聞記事を交互に目を配りながら、自らの「生い立ち」から「生き甲斐」追究への道程を次のように考えてみた。

教育神話とは「発展途上」時代には必要な道標ではないだろうか?努力は嘘をつかないと励ます教師の言葉が「神話」に聞こえて頑張った。貧乏人の子どもでも「奨学金を受けて大学に行ける」と教師の激励も「神話」となって現実化に貢献してもらった。自らは決して「努力家」ではない。だから、母子家庭に育った時代(格差社会)が「発展途上」時代であったことが幸運だったとしか思えない。

学校がかつてほど「平等化装置」としての役割を期待されなくなった・・・・

この行(くだり)を目が追いながら、40年近く勤務した場所がそんな装置だったのか、と他人事に考えている小生は何者だ??教師の風上にも置けない人生を歩んで来てしまったようだ。

そこで、立ち止まって考えると、石川氏の記事からヒントが飛び込んできた。

学歴では『生きる力』を養成できないが、職業を追究すると「生き甲斐」に到達できる。生き甲斐こそが『生きる力』ではないか!何をしてどのように生きるのが一番の仕事の「遣り甲斐」に繋がるかを考えさせられる。このことが教育ではないだろうか。そんな教育の過程には「違い」はあっても、それを「格差」とは言えまい。

食材の「素材の良さを消さない料理を編み出す」ための全国行脚が生き甲斐ならば「お店を持つ」という生き甲斐とは同居することはできない。どこの大学を卒業したら幸せを掴めると言うのか。努力をしたら幸せ感に到達できるのは歩んで来た我が道への愛着があるからだろう。幸せは絵に描いた餅ではない。

教材を旬にして授業をやってあげる教師には子どもたちの充足感の顔を、喜んでみることは出来ない。教師としての幸せなど永久にやって来ない。これは確信に近い信念である。「格差がない人間社会」の本質は外見ではない。心の中の深層部に潜んでいる「生きる力」のマグマでしか測れないのではないだろうか。

いつも、誰かの所為にして・・・・。

確かに日本社会が隣近所と助け合うことが少なくなったようだ。隣の幼児の面倒を看あっていた古き日本社会であれば幼児教育は地域で出来た。そこには貧乏社会しかなかった。そこには学歴などが闊歩する生活は無かった。

店を持つことが主流で、都会の一流レストランのシェフが尊敬されるだけが実社会だとすれば石川氏の生き方にはご両親も親族も落胆されるだろう。

どちらも現実を直視している記事である。隣接する配置に暫し考え込んだ。老いぼれ脳味噌に「新しい麹」を入れ込まれた気分になったのである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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