~「身体が気力に付いて行かない」?~
「身体に気力が付いて行かない」方が引き際の決め手になるのだろうか?思案中の老脳に、また「引退する」プロ選手(=力士)のネット記事が目に留まった。
「身体がついていかない」(=引退表明の弁)
大相撲の元大関で東十両9枚目の雅山(藤島)が24日、現役引退を表明した。
今後は年寄「二子山」を襲名し、藤島部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。千秋楽で鬼嵐を押し倒し3勝12敗で春場所を終え、師匠の藤島親方とともに会見した。
雅山は「まだまだ気力はありますが、体がついていかない。ほっとした気持ちもあります」と話した。雅山は「もう一度大関に戻るつもりで頑張りましたが、この経験を生かしたい」と述べた。 デイリースポーツ 3月24日(日)16時54分配信
今後は年寄「二子山」を襲名し、藤島部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。千秋楽で鬼嵐を押し倒し3勝12敗で春場所を終え、師匠の藤島親方とともに会見した。
雅山は「まだまだ気力はありますが、体がついていかない。ほっとした気持ちもあります」と話した。雅山は「もう一度大関に戻るつもりで頑張りましたが、この経験を生かしたい」と述べた。 デイリースポーツ 3月24日(日)16時54分配信
スポーツ界は体力との勝負ではあるが、「体力の限界」のレベル差を通常人と比べることは不可能であろう。ところがプロのスポーツ界では30歳代後半の選手は常に引退(=引き際)のことを考え、その将来への新たな挑戦を考え出しているようである。その引き際は年齢の差はあっても同質の様である。
小生のような通常人には「定年退職」という決められた引き際が存在する。しかし、この時点は本人の意志に因るモノではない。個人差は甚大である。定年退職を超えても「現役を続行」する諸兄も多い。小生もその端くれの一人であり、引き際の「言葉さがし」をしている最中である。退職して10年の歳月が流れているからだ。
気力も萎えて体力も消滅したので・・・、と「引き際の要因」を2つとも述べることだけは避けたいモノだと考えている。これは小生の「小さな美学」である。いずれにしてもその時期の到来も時間の問題である。
手元に購入して読んだこの本には幾つもの「美学の視点」があり参考になった。
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