~「研修報告書」が届きました~
3年前の事。2年前のこと。1年前のこと。
大震災の慰霊式典会場をTV画面で視ながら、妻と二人で「黙祷」にも加えてもらった。2年前、直後の週末に和歌山市に出講した。その担当者からはメールで回想録が届いた。震災後の1か月も経たない時でも、東北と和歌山では距離が「興奮度と緊張度」に大きなギャップがある事を知らされた。これが小生の回想録である。非難ではない。物理的条件下における反応の差異であることで納得はしている。何事も「当事者意識」の温度差が現状を構成していることに合点するのである。
全く異種の『回想録』が届いた。
さいたま市教育研究所 第10期生 平成24年度教育経営研修会・研修報告書 というのが回想録である。
「組織を活かす学校経営の戦略」のタイトルで5年間も講義を担当した。潮時も来ていると、この講義が最終回のつもりで出講したのが去年の10月12日であった。気持ちが入り過ぎると成果等期待できません。「最終回だから、恩返しの気持ちも含めて」と講義を始めたのだから展開はご想像にお任せしましょう。
放談。
それは「言い放し」の無責任極まりない私的な談話のことである。最も避けなければならない「講義」での講師の心構えがそのけじめである。重々に承知しているのに聴講者の疲労感も無視した午後の講義の時間を過ごさせてしまったのである。
だから?手元に届いた「報告書」は視るのが辛い。
もっと辛いことは、「にも関わらず」来年度も講師招請状が既に届けられているという事実に対処することである。組織論が苦手で、経営の戦略などを練った経験も無い小生がお請けした講義演題である。お請けした時点で、きっぱり無能さを理由にしてお断りすべきだったのである(笑)。
なぜ、お断りしなかったのか?
それは、校長としてもそうであるが教育者として尊敬していた所沢市の女性校長からの「ご推薦」との前置きで出講交渉を受けたためである。辞退は非礼に当たると思い込んで受諾したと言う経緯も我が回想録である。
ともあれ、書棚に顕在する『足跡』(研修報告書)の事実を踏まえ、新たな気持ちで「研修会出講への戦略」でも練り直そうかと肝に銘じて(命じて)いる朝である。
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