2013年2月28日 読売新聞
亡き妻の分も学ぶ…79歳山下さん、あす定時制高卒業
愛媛県八幡浜市の県立八幡浜高校定時制で4年間学んできた山下一郎さん(79)(八幡浜市大平)が3月1日、卒業式を迎える。早くに妻の万里子さんを亡くし、「妻の分まで勉強しよう」と入学。貪欲に英語やパソコンなどを学び、孫と同世代の級友たちは「一番の努力家」とたたえる。卒業式では無遅刻無欠席の「皆勤賞」を受ける予定だ。
山下さんは広田村(現・砥部町)出身で、同市の叔母の家に養子に入った。中学3年の時に養父が病死し、高校進学を諦めた。紙問屋に勤め、宮崎県出身の万里子さんと結婚し、1男をもうけた。独立して夫婦で2軒の化粧品販売店を経営していた。
1990年、万里子さんが肺がんで亡くなった。48歳だった。山下さんは気落ちし、7年後、店をたたんだ。引退後は趣味の山歩きに熱中し、自然保護団体にも入った。鳥の分布を調べるうち、地理学や、環境破壊の歴史などを知りたいと思い、「高校に入って勉強しなおそうか」と考えるようになった。
ただ、すでに70歳を超え、踏み出せなかった。ある時ふと、万里子さんが闘病中につぶやいた言葉が頭をよぎった。「私の青春を返して」。音楽の教師になりたいという夢を持ちながら、大学進学がかなわなかったのだ。2009年、万里子さんの分も勉強しようと決心し、受験した。
「一緒に頑張ろうや」。入学式の日、髪を茶色に染めた2年生の男子生徒が、声をかけてくれた。孫の年頃の同級生たちとバドミントンや卓球をして汗を流した。もちろん苦労もした。英語は覚えたはずの単語が出てこず、パソコンは両手で打てない。それでも「落胆したことはあったが、しんどいと思ったことはない」と振り返る。
4年生の夏休み、作文の発表者に選ばれた。担当の松本和代教諭(38)と書く内容を練っていた時、妻が残した手紙が、未開封のままであることを打ち明けた。「闘病のつらさや苦しさが書いてあったらと思うと、封が開けられません」とうつむく山下さんに、松本教諭は「読むことが、供養になるはず」と励ました。
一緒に家へ取りに行き、再び学校に戻って開封した。便箋12枚。発病し、1度目の入院から帰宅した1986年末に記された手紙だった。
副作用で髪が抜けたこと、長時間の点滴がつらいこと……。「44歳の発病は早すぎます」の文面に、悔しさがにじんでいた。そして、山下さんの健康を気遣った後、こう締めくくられていた。
〈幸せでした。満足でした。ごめんなさい。お先に。お父さん大好きよ。ありがとうございました〉
その場ではちゃんと読めず、家に帰ってもう一度見た。妻を思い浮かべ、「うん、うん」とうなずきながら読み、目を潤ませた。
作文は、妻への返信として書いた。
〈あなたの分まで学びます〉 卒業式では、卒業生11人を代表し、証書を受け取る。
同級生の一人、此上優子さん(20)は「誰よりも努力する姿が、『頑張れよ』って励ましてくれているようだった」と振り返る。担任の鈴川浩司教諭(50)は「分からないことは分かるまで学び、中途半端に終わらせない」と評価する。
山下さんは「一緒に学んだ級友、お世話になった恩師はもちろん、学校の草や木にも頭を下げたいほど」と、感謝しきりだ。 (梶原善久)
こんな素敵な情報を独り占めは出来ません。
ネット情報として受信しました。写真の付いている記事でしたが、上手くアップできませんでした。申し訳ありません。しかし、こうして「素敵なお話」もさることながら、イヤな情報も好むと好まざるとに拘わらずいとも簡単に情報として飛び込んでくる時代になりましたね。情報収集能力に加えて、判断・診断・決断の「3断」が問われる時代になったとも理解しておきたいものです。
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