2013/03/06

去年もこうだった??

 ~対応できる「体制づくり」~

 最近、頓に『潮時』という言葉が脳裏を掠めることが多くなった。

 これも加齢を証明する症状かも知れないと勝手に合点している。最も強い印象として今でも鮮明に記憶している『潮(時)』という言葉を耳にしたのは小生が中学3年生の春だった。嫁いだ長姉が出産のために実家に帰って来ていた。高校受験日の直前だった(正確には3月4日)。

奥の部屋で長姉のお産が始まったらしい。母の大きな声しか聞こえないが昔造りの農家の家である。大声は庭先に出ていてもハッキリ聞こえた。母親が娘を叱っている!!そんな音色だった。

お産の手伝いに駆けつけた叔母(母の妹)に向かって、「暦を見て来て!」と大声を発した。潮の干満が書き込んであった昔のカレンダーのことだったようだ。潮の干満と「お産」と「死亡」との関係がある、という事は無事な出産を終えた姉に向かって話していた母の言葉を聴いて知ったのである。お湯を沸かして盥に入れたりする手作業をてきぱきと指示する母親の行動も、「全てが潮時」に応じていたようだ。

満ち潮と引き潮の時刻(=『潮時』)。

潮干狩りの時にしか意識しなかった少年には「何のことなのか」サッパリわからなかった。動物という自然界の『生き物』は、自然分娩(誕生)に始まり自然終息(死)で終わることを教えてくれたのである。だから、母の口癖は、『潮の干満』には誰も竿は差せない、であった。なるようにしかならない!!は母の捨て台詞でもあったことに完全納得であった。それ以外を「事故」とも言及していた。文明の利器が謳歌すればするほど「事故」が多くなるとも学んだ。その姉も他界して今年は7回忌である。

そして、昨日。

小生の『潮時』は??大袈裟ではないが、オファー(申し込み)の電話が鳴りっぱなしであった。車中にも移動先にも、そして帰宅しても満ちてくる潮に追いかけられて遠浅の有明海の砂浜を走って帰った少年の日の光景が浮かんできたのである。

来年は古希を迎える老体に、未だオファーがある。潮時は満ち潮なのか?これは請けざるを得ない。しかし、体力の維持管理に無理を強いることはできない年齢になっている。潮の流れに竿を挿さないで、無理の無い体制づくりに心がけねばなるまい。受信した電話やメール、郵便物を整理してカレンダーに書き込んでみてビックリ!去年もこんな状態だったのかな?と自問してみた。

なるようにしかならん!!しかし、努力を怠ってその潮の流れを待つ気にはなれん!この性分も『潮時』が作ってくれたんだろうか!まだまだ、意欲十分な老体である。「引き潮」になったら静かに矛先を収めることにしよう(笑)。

0 件のコメント:

コメントを投稿

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

フォロワー