2013/03/30

歩禅の記(17)

 ~「今朝の5時」は暗かった~

 そして、寒かった。

 玄関先を踏み出した老体に、容赦なく吹き付ける北関東独特の北風にはやっぱり躊躇が伴った。歩き出して10分間は自らとの勝負である。「引き返した方が良いのでは?」「やっぱりこの時期の早朝歩禅は止した方が良いんじゃないか」等々との雑念との闘いは人生そのものである。

 今日は昨日より更に雲が多いのか「暗さ」だけが眼前に迫って来て、「こんなにまでして、どうして歩くんだ」と自問も始まる。思考回路で細やかな問答を続けている間にも歩数は増え続けている。30分も歩くと、不思議な程に心の闇も靄も霞も、いつの間にか消えてしまう。そして足取りも軽快になっている。

それは「周囲が明るく」なっているからである。

沼の湖面に太陽光が映らない今日のような朝でも、周囲はすっかり明るくなって見通しが良くなっている。沼の対岸を歩く人の姿も見える。マラソン人もおよその年齢が想像つくぐらいまで鮮明に見える。すると、足元がはっきり見えると「人生の歩調」も軽やかに変調するらしい。

無口で歩くのも暗闇の影響らしい?

口数の多い夫が話しかけると、口数の少ない妻も「明るい環境」になると返答が視やすくなるようだ。僅か60分間であっても、こんな起伏のある時間となるのが、いつ歩いていても不思議におまえて仕方が無い。

昨日の出来事が老夫婦の話題に上る。離任式を済ませて帰って来た二人の小学生の孫たちが昼食を摂りながら、「あの先生にはもって居て欲しかった」「その代わりにあの先生が出て行ってくれたら良かったのに」と笑いながら話していたことが話題になった。

大昔(笑)、自らがそんな話題の主になっていたのだと気付いた夫に妻が言った。「渦中にいる時は本人にはわからないことが多いんですよね」と。これは慰労の言葉と採るべきか迷いながら「早朝歩禅(5:05~5:55 6500歩)」を終えての帰宅である。早朝歩禅の後の身体の爽やかさは格別である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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