~「今朝の5時」は暗かった~
そして、寒かった。
玄関先を踏み出した老体に、容赦なく吹き付ける北関東独特の北風にはやっぱり躊躇が伴った。歩き出して10分間は自らとの勝負である。「引き返した方が良いのでは?」「やっぱりこの時期の早朝歩禅は止した方が良いんじゃないか」等々との雑念との闘いは人生そのものである。
今日は昨日より更に雲が多いのか「暗さ」だけが眼前に迫って来て、「こんなにまでして、どうして歩くんだ」と自問も始まる。思考回路で細やかな問答を続けている間にも歩数は増え続けている。30分も歩くと、不思議な程に心の闇も靄も霞も、いつの間にか消えてしまう。そして足取りも軽快になっている。
それは「周囲が明るく」なっているからである。
沼の湖面に太陽光が映らない今日のような朝でも、周囲はすっかり明るくなって見通しが良くなっている。沼の対岸を歩く人の姿も見える。マラソン人もおよその年齢が想像つくぐらいまで鮮明に見える。すると、足元がはっきり見えると「人生の歩調」も軽やかに変調するらしい。
無口で歩くのも暗闇の影響らしい?
口数の多い夫が話しかけると、口数の少ない妻も「明るい環境」になると返答が視やすくなるようだ。僅か60分間であっても、こんな起伏のある時間となるのが、いつ歩いていても不思議におまえて仕方が無い。
昨日の出来事が老夫婦の話題に上る。離任式を済ませて帰って来た二人の小学生の孫たちが昼食を摂りながら、「あの先生にはもって居て欲しかった」「その代わりにあの先生が出て行ってくれたら良かったのに」と笑いながら話していたことが話題になった。
大昔(笑)、自らがそんな話題の主になっていたのだと気付いた夫に妻が言った。「渦中にいる時は本人にはわからないことが多いんですよね」と。これは慰労の言葉と採るべきか迷いながら「早朝歩禅(5:05~5:55 6500歩)」を終えての帰宅である。早朝歩禅の後の身体の爽やかさは格別である。
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