~意味もわからないままに口ずさむ歌~
微かな記憶の中に脳裏に残っている日本語がある。意味がやっと分かった時点で「そんな意味とも知らずに」歌わされていたことを苦笑しながら感謝する。こんな経験や思いが結構多く存在するのは小生だけではあるまい。
孫がお世話になっている保育園での遊戯発表会という行事に招待された。老妻と一緒に「徒歩で」往復した。正味2時間ばかりの演技には祖父母の視線で十分に満喫することが出来た。
我が子が通った幼稚園の発表会では感じ入ることの無かった「感動」が伝わってくるのは「世代の間隔」が齎すモノらしい。我が子の演技を終えた瞬間、親は「緊張しちゃって・・」と口をついて言葉が出るようだ。祖父ちゃん祖母ちゃんには緊張感など皆無である。
どの園児も口を大きく開いて、出来るだけ大きな声で歌おうと懸命であった。
年少さん「ふるさと」、年中さん「もみじ」、さらに年長さん「朧月夜」と小学校の音楽の授業で扱う唱歌を歌っていた。日本語でも今では使われない古い表現がぎっしりと詰まっているのが唱歌である。
♪ 菜の花畠に入り日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし 春風そよふく 空を見れば 夕月かかりて におい淡し ♪
意味なんかどうでも良い。「山の端」なんて6歳の幼児が意味を知る必要もあるまい。しかし、オトナになって日本語の素晴らしさに触れて感激するのである。言葉は活用しないと意味が無い?そんなこともあるまい。
英語の話せない日本人。
これは日本人への「劣等感の煽り」でしかない。英語を話せるのが優越感だとすれば本末転倒ではないか。メロディを口ずさみながら聞こえた通りの英語を楽しめが良いのではないか。現実にこのような歌詞(日本語)も読み方も意味も不鮮明なままに朧げに口ずさんで来たではないか! ♪ うさぎ追いし かの山・・・・・ ♪ ウサギの肉って美味しいのかな??食べてみたいな!と幼い頃の着想に苦笑した時に「言葉の真髄」に触れるのではないだろうか。
園児たちの「意味を知らずに」歌い上げる姿勢を育んでおられる保育園の教育に感謝しながら帰宅した。
帰って来た孫にリクエストすると何の抵抗も無く、歌ってくれた。思わず目頭が熱くなった夕暮れである。男児ではあるが「健やかな成長を願う」桃の節句の午後であった。
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