充実した時間は去る速度も比例する?
2010年の年が明けてまだ1ヶ月と数日。その間に3回目の訪広です。帰ったと思ったら、もうまた広島駅に戻っている。そんな状況で時間が流れて来ました。
最終日は午前は民間教育産業界(公文)、午後は主宰する民間教育団体(公立学校教員)との接触でした。日頃から論及している通りに、「教育には官も民も関係ない!」を実践できた終日でした。関係者諸氏に感謝する思いでいます。
公文の保護者への講演はいつもの「独演会」(笑)で終わってしまいましたが、「子を思う親心」の温かさをその視線に感じることが出来ました。公文教育に従事した新採用者の研修の場でもあったことを考えたら少々物足りなかったのではないかと反省しきり。午後の立春セミナー(公文広島事務局・講習会室=会場の提供)での2本の発表には「広島風味」を満喫できました。『広島型』教育風土の確立に向かって一丸となって取り組む姿は、遅くとも10年後にはその評価が高くなることは請け合いです。教育すると言う課業には「先ず、やってみる」モードが必要なのです。体制批判が優先するようでは、加速するエネルギーにも無駄が生じるのです。やってみて、振り返ってみて、情報交換を繰り返しながら進むことを何よりも重要視すべきであることを確信できた発表でした。二人の教師の「実践発表」を聴きながらの実感です。すばらしい実践に拍手を送ります。
小生のプロフィールにはいつしか「講演活動」という文言が定着しています。不本意とまでは言及できませんが不似合いな表現であると思うのは今朝も同じです。しかし、今回も充実した3日間でした。
これから新幹線に乗ります。自宅で2泊したら、今度は石川県金沢市です。雪が心配ですが、また新しい感動との出会いを期待して元気に行ってまいりましょう。 金沢の朝から・・・(仮題)をお楽しみに!!お世話になりました。今度の訪広はいつになるのでしょうかね?
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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