~育てたように子は育つ~
子育て講演会に招請されることが多くなった。
3人のわが子達の「子育て」は無意識に、いや無我夢中で、いいえ遮二無二の状態でごり押しをして生きてきた「一対の親」(=我々老夫婦)にしてみると公務として講演を依頼されたから応じなければならない立場とは申せ、一つも示範できるような内容など現存しない。
校長職経験者だからのご要請なのだろうか?しかし、現職から遠ざかることもう6年が流れ、そろそろ錆も目立つようになっている。「子育て」に関わる講演や講座への出講依頼を受ける度に、反省を前面に出しながら「子育て」と人間生活の営みの変遷を深く考えることが多くなった。
親を選べない子供達。
このキャッチフレーズに触れると「一対の親」としては気が重くなる。他人の親は、時として憧れにも似た羨望の眼差しで実の両親と対照してしまうのは「子ども」としての特権なのだろうが、辛く厳しい評価であることは間違いない。我が家でもそんな時代があった(今もあるかも知れない)。
親を選べない子供達も、現実的には親と呼びながら親の庇護を受けて成長するモノである。小生は、巣立って行ったわが子達が、それぞれの地でそれぞれのリズムを創り出しながら「新しい所帯」生活が展開されるようになった頃から、「(一対の親)二人で歩く」ことを提唱した。横を歩く伴侶との対話が主たる目的であった。立派な言葉は要らない。本音で「過去を庇い合う」奇妙な時間でもある。つまり、「こんなことも、あんなことも・・・」と子育てに夢中だった日々の反省事項を回顧する対話の時間である。しかし、反省は出来るが修復は出来ない。父親として、母親として「独りで」そんな内容をふり返ると落ち込んでしまう。しかし、二人人生ならその落ち込み度合いも「はんぶんこ」にすることが出来る。
「歩禅」という造語の原点がそこにある。
全国で沢山の講演をさせていただくが、我が子が地域住民として生活しているご当地に出向いて「子育て」に関して話題提供をするのは、実は今回が初めてである(写真版・フォーラム)。身の引き締まる思いでお引き受けしたモノの、月末(2月28日)の当日が1週間後に迫っても来ると心中穏やかではない状態である。嘘はつけない。なぜならば、そこには「育てたように育った」我が子が実物大で生きているからである。
これも「生きている親」としての通過儀礼か?
そんな開き直りを後押しさせる気分で、今朝はこのブログでご紹介することに意を決した。立派な子育ても出来なかった親なので偉そうなことは言えないが、懸命に生きている我が子へのエールになれば、と心奮い立たせている凡庸な父親のぼやきをご紹介したことをご理解いただきたい。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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