~どこへ行ったの?あの熱気は~
当方は「夜・9時」は閉園の営業です。開園時刻は「その日任せ」の気まぐれ時間です。今朝は2時50分には開園してしまっています。なぜならば、この園長、今日は8時半頃には外出する予定だからです。愛知県春日井市に出向することになっているのです。変わりモンの園長は、「請われる」と有頂天になってしまう性分なのです。時として自らが「請われる」ような仕掛けまでしてしまうのですから理解されない性格として誤解を招くこともあるのですから始末悪いですね。失敗の多い人生の特徴(笑)。
初めての著書『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)の編集担当者が、拙著に付ける帯の表現に「角田ワールド」なる表現をされました。当初は意に関せず放置状態でした。現職を辞する記念としての著書になったこともあって、その後はその本と一緒に「講演旅行」に出向くことが多くなりました。ワールドという言葉には無縁な凡人には別世界の言語でした。所々で講師紹介の表現に「角田ワールドに浸る」というフレーズが目に付くようになり耳にすることも多くなりました。
「そうか!!」と気づいたのは、大それた表現と理解しようとした誤解に気が付きました。勝手気ままな世界?それがワールドなんだ、と。角田ワールドと言うのはそんな程度なんだ!と。
かくして、偉そうに聞こえたり見えたりするでしょうが、「角田ワールド」が独り歩きをすることになってしまいました。園長1名だけで経営する極小・企業は、文字通り「一人歩き」をしているのだとご理解いただいて受け入れてください。
さて、その園長には余りにも衝撃の大き過ぎるメールを受信してしまいました。
「角田先生のご助言・ご指導をお願いします」という最後の文章に、キーボードを叩こうとする指が思うように動いてくれませんでした。校長職の苦悩を察知したからです。能天気に見える(?)当方でも、現職の校長時代には「辞めたい」と何十回考えたことでしょうか。ホントですよ。悩みの根源には個人差もあり、助言は難しいですよ。人生相談とは異質ですからね。大したコメントもアドバイスも出来ないままのメール送信で今朝の段階は終わっています。情熱的に校長職に向かい合っていた人物だけに、こちらの気分も穏やかではありません。
そんな朝です。しかし、今日も大事な仕事が待っています。当方が出向くのを待ってくれている(筈?)の先生もいます。授業を待っている子供達もいます。一旦、この「辛い衝撃」は、この狭い書斎に置いて、出発することにします。行ってまいりま~す。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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