おはようございます。
そして、関係者諸氏に心からお礼を申し上げます。有難うございました。
2月7日。6時27分の広島駅始発第1便の「のぞみ号」で早朝の帰路に着きました。習慣のように1号車に乗ったのですが、乗客はホンの数名でした。時刻表を見ながら姫路駅で後続の「ひかり号」(小田原駅停車の)に乗り換えました。飛ぶように浮かんでは消えていく車窓の景色にもすっかり慣れてしまっている自分にも気づきました。初めて広島を訪問したのが2001年8月6日です。あの日から、(数えたこともないのですが)何十回も広島駅での乗降です。在来線への乗り換えのための構内の通路もすっかりわかってしまいました(笑)。
気がかりな長男の入院の日でした。直に入院先には行かないとは言えやっぱり気持ちは逸るモノですね。3日間の熱闘(笑)の翌朝には特段のスケジュールも無いのですからゆっくり起きてノンビリして出発できるはずなのに気は急いていたのでしょう。馳せ参じても何の役にも立たないのですが「親子」の情とはこんな瞬時に表出するのでしょうね。長男は生後1年で発見された重病との闘い。彼一人の問題ではありませんでした。家族全員で負いました。幼児であったにも拘わらず入院手術が繰り返され、その都度幼い姉たちも言葉に出せない苦悩を課してしまっていました。車窓を見詰めながら「疲れもどっかへ行ってしまった」老親は長男の入院のことで一色になってしまっていました。
写真、上段は広島への往路の雪景色、中段・下段は帰路の新幹線車中から撮影した景色です。中段の関ヶ原付近では降雪のため徐行運転で20分ほどの遅延となっていました。人生とはこんなモノですね。逸る気持ちで急いている乗客の心の中を見抜いたかのように超特急電車までが「あせらない・あわてない」とばかりにスピードを(ワザと?)落とすんですよね。無理をして焦ってしまっては何事も巧く行かない、と自然界も教えてくれていることに気づきました。老脳に気合いを入れることが出来ました。下段の帰路の富士山が、そんな旅人に笑顔で見送ってくれました。そして無事に自宅に着きました。
心配していても手術の日には、予定が入っている金沢市に出講です。当日は妻が病院に行ってくれることになっています。頑張り屋の息子の闘志に期待をするばかりです。長男にも優しい嫁や父さん思いの息子達がいます。命に別状が無いとのことですから家族の支援に応えるべく頑張ってくれることでしょう。夕方にはエールのメール送信しておきました。頑張るよ、との返信も届いています。
書斎の室温が8度しかない朝です。爽やかな疲労感です。これから浴室に入って『腰湯』をします。グッと疲労が抜けていくことでしょう。息子に負けないように老親父も頑張ります!
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