~雪道走行に不慣れな者には・・~
今日は木曜日。出講等の予定が事前に入っていない限り、妻同伴で必ず出向くところがあります。それは東京都町田市相原町にある鍼診療院です。通い始めて10年になります。今朝7時の時点で今日の診療を受けることを断念することに決めました。診療師にはファックスでお知らせしました。
書斎の窓の下はこんな雪景色(写真)です。
妻と二人で診療を断念することを話し合いながら、10年前のことを思い出していました。この10年間で「雪のため」に診療を断念せざるを得ないことは、通い始めた1~2年間だけだったことです。診療院は八王子市に近く、丘陵地帯にあり、元気な人でもその坂を上ることは厳しいと思えるほどの傾斜です。初めの頃(電車で通っていた)、降雪と凍結で坂道の途中に車が立ち往生していたことを、極自然現象として見ながら歩いて行きました。電車で通った頃は「断念」の決断はゼロでした。
こんな状況下に至らないと考えることもないのですね。妻と二人で積もっている雪を二階の部屋から見ながら地球の温暖化は確実に進んでいることを実感し合いました。車という文明の利器も自然現象には叶わないということでしょうか?取り分け小生は雪道走行など経験は皆無ですから・・。多摩地区はここ湘南とは気温の差もあり、積雪も凍結も想像とはかなりのズレがあり、甘く見て運転して行って立ち往生したのでは笑えませんよね。
来週の木曜日は愛知県春日井市に出講ですので、今月の鍼診療は先週の1回だけに終わりましたが、3月は全ての木曜日に診療できそうなので良いことにしましょう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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