2013/04/21

業界を去って10年の老輩が、業界に入るための『必死な形相』と出会う

 

 こんな老輩にも、まだ「やるべき事」を与えて下さる奇特な業者がある。

 これは至福と言うべきだろうなぁ~!そんな思いをハンドルに託して、昨日は新年度の初仕事場に向かいました。当地に転居して3年目を10日間しか過ごしていないのに10分間で到着できる仕事場を提供して戴いたことは幸運そのものです。

 担当業務は、3年前に横浜市で始まっています。

 「これから教員になる」人たちへの指導業務なのです。毎日サンデーの退職者の能天気者は、「昔取った杵柄」とばかりに安易な気持ちで請け負ってしまいました。教員に採用されていく若者たちを見詰めながら多くのことを学ばされる立場に変わっていることに気付いたのです。

 教員の常識は社会の非常識。この言葉を初めて耳にしたのは茅ヶ崎市教委の勤務が始まった極く初期の頃だったと記憶しています。発信者は当時の教育長さんでした。「目から鱗が落ちる」とは、あの瞬間の事だったと今でも鮮明に記憶しています。生意気だった小生でも一発でダウンを喰らうアッパーパンチにも似て、その衝撃は退職するまで忘れることは出来ませんでした。

 そして、こうして民間業者に委託されて業務を請け負って携わってみると当時の教育長のお言葉が現実味として迫って来ます。意識はしていた筈の業界にいる時代でも全く見えなかった「社会・世相」まで解るようになってしまいました(笑)。来し方に思いを馳せる度に背筋が寒くなってしまいます。

 昨日も会場の講義室に集った「未来の教員」達を前にすると、怒涛のように「伝えておきたいこと」が襲ってくるのです。90分間の持ち時間に、「これでもか・これでもか」と多くを語りかけてしまいました。こんな講師は受講者にとっては目障りだろうと考えつつも留まるところを知らないのです。

 「なってからでは遅い」。ちっちゃな小生の人生哲学を伝えたいのです。「教員になってからでは遅いんだぞ」と心底から叫ぶ老輩に、「未来の教員」たちはウンザリしてしまったかも知れませんな!(苦笑)。たった一度の、一回きりの出会いの90分間が、講師と聴講生間のお互いの意志を交わすことなく一方的な講義では、軽い言葉として、冷たい北関東の風に吹かれて今頃はどっかへ飛んで行ってしまったでしょうね。

 それでも、育てて戴いた業界への恩返しの真似事にでもなれば・・・・・。

 そんな思いを奮い立たせて、今日は少々距離のある水戸市まで行きます。今日も「未来の教員」を目指す集団の待つ会場で性懲りもなく口角泡を飛ばして熱弁を振るう小生の愚行をご想像くださいませ!行ってまいります。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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