2013/04/03

小さな『希望(=のぞみ)』

 ~せめて「仏壇の花」ぐらいは・・~

 両親をほぼ同時(3か月を経ずして)に亡くした妻が憔悴してしまった時期があった。あれからもう6年が過ぎている。茅ヶ崎の自宅の思い出での一つでもある。

 茅ヶ崎の狭い家屋では、改めて「仏間」を拵えるゆとり(面積も財政)もなかったが、その前年に当地(現在住んでいる場所)に長男が新居を設けた。設計の段階で仏間の特設を要求したので実現した。

 (九州の)妻の実家に行って両親が大事にしていた仏壇を修理の依頼をして新居に送り届けてもらった。3回忌の法要も仏間に両親の親戚縁者(関東近県に住んでいる)をお招きすることが出来た。来客をお礼を述べて見送りながら妻が、7回忌までには「せめて仏壇の花ぐらいは自家製(庭先に咲いた花)を供えたい」と、従姉妹に言っていたのを記憶している。

 今年は現時点で沢山の水仙の花が咲いた。

ご近所のおばあちゃんから戴いて昨年植えたモノであるがほぼ全部芽を出して咲いてくれた。「花は咲くもの」ではあるだろうが、実際に切り取って仏壇に供えて拝んだ。
「春の香り」の香しさは店先の花とはちょっと違うぞ!嬉しさで、妻は亡き両親を思い出してしまうようだ。庭先には四季を彩る多くの花が咲き誇っていた両親と過ごした故郷の庭先を思い出しているのだろう。

妻の小さな「希望(=のぞみ)」が万分の一でも叶えられたようで小生も嬉しい。庭先を利用して花を咲かせて、「せめて仏壇の花ぐらいは」の細やかな妻ののぞみを現実化するか!

水仙の花の香りが「花粉症」の小生に、『匂いの世界』を呼び戻してくれている朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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