2013/04/27

久しぶりの『独り歩禅』も、時には良いモンです!


 

 無理強いでの散歩は好まない。

 誰かが何かをやっているからと、意地になって「自分もやらないと負けてしまう」なんて考えたことは一度も無い。自分との勝負に負けることには時として、情けない自らをキライになることはあっても、他者に負けて哀しくなったことはない。子どもの頃は「負けず嫌い」を助長された。そして、相手に勝つことの奨励が教育手法だった。いつ頃からは定かではないが、「自らに負ける」ことを嫌悪して、他者に負ける事には諦めを増幅させて未練も抱かなくなった。

 祖母が、「お前は三日坊主だけん(=だから)」と事ある毎に窘めてくれたことを最近は頓に思い出す。77歳で死んだ祖母である。まだ、もう少し先の事ではあるが同じぐらいの年齢になるからだろうか。孫のガキを窘めていた元気な頃の祖母が今の小生と同じぐらいの歳ではなかったかと、考えている。

 『独り歩禅』で、祖母に語りかけてみた。

 心の中での問いかけにも祖母からの返事はない。男勝りで、「末期の水」は焼酎にしてくれ、と孫の小生に遺言していた女性である。祖母はピンピンコロリの逝去だった。居合わせた嫁(母)と娘(叔母)が容体の急変を察知して大声を発した。5年生だった小生は土間の台所まで行った。祖母のご所望の「末期の水=焼酎」を湯呑み茶碗(コップは当時は無い)に注ぐためだった。こぼさないように横たわっている祖母の枕元に運んだ。

 母と叔母が口に運んだ。

 意識はしっかりしていた祖母は、ハッキリした声で5年生の孫に向かって言った。「ありがとう、良く覚えていたね」と。のど元を「ごくん」と音を立てて茶碗酒を呑みほした。そして、数分もしない内に息を引き取ったそうだ。見事な最期だったとの語り草である。

 そんな祖母に以下の哲学を教わった。

 一日休んだだけで「三日坊主」になってしまったら、また次の「三日坊主」に挑めば良い。そんな「三日坊主の繰り返し」を続ければ、結果的には「三日坊主」が連続して、良い結果が出せるんじゃないかい?

 この哲学が、10年間も継続している『歩禅』に繋がっている。

休むこともあるが、また次の連続への意志を大切にできる。「三日坊主の連続性」は祖母に学んだ。そんな人生の師である祖母との『独り歩禅』を愉しむことが出来た。一言も祖母は応えてはくれなかった。もう、諦められたのかな?(笑)  ≪05:05~05:55 6500歩≫

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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