無理強いでの散歩は好まない。
誰かが何かをやっているからと、意地になって「自分もやらないと負けてしまう」なんて考えたことは一度も無い。自分との勝負に負けることには時として、情けない自らをキライになることはあっても、他者に負けて哀しくなったことはない。子どもの頃は「負けず嫌い」を助長された。そして、相手に勝つことの奨励が教育手法だった。いつ頃からは定かではないが、「自らに負ける」ことを嫌悪して、他者に負ける事には諦めを増幅させて未練も抱かなくなった。
祖母が、「お前は三日坊主だけん(=だから)」と事ある毎に窘めてくれたことを最近は頓に思い出す。77歳で死んだ祖母である。まだ、もう少し先の事ではあるが同じぐらいの年齢になるからだろうか。孫のガキを窘めていた元気な頃の祖母が今の小生と同じぐらいの歳ではなかったかと、考えている。
『独り歩禅』で、祖母に語りかけてみた。
心の中での問いかけにも祖母からの返事はない。男勝りで、「末期の水」は焼酎にしてくれ、と孫の小生に遺言していた女性である。祖母はピンピンコロリの逝去だった。居合わせた嫁(母)と娘(叔母)が容体の急変を察知して大声を発した。5年生だった小生は土間の台所まで行った。祖母のご所望の「末期の水=焼酎」を湯呑み茶碗(コップは当時は無い)に注ぐためだった。こぼさないように横たわっている祖母の枕元に運んだ。
母と叔母が口に運んだ。
意識はしっかりしていた祖母は、ハッキリした声で5年生の孫に向かって言った。「ありがとう、良く覚えていたね」と。のど元を「ごくん」と音を立てて茶碗酒を呑みほした。そして、数分もしない内に息を引き取ったそうだ。見事な最期だったとの語り草である。
そんな祖母に以下の哲学を教わった。
一日休んだだけで「三日坊主」になってしまったら、また次の「三日坊主」に挑めば良い。そんな「三日坊主の繰り返し」を続ければ、結果的には「三日坊主」が連続して、良い結果が出せるんじゃないかい?
この哲学が、10年間も継続している『歩禅』に繋がっている。
休むこともあるが、また次の連続への意志を大切にできる。「三日坊主の連続性」は祖母に学んだ。そんな人生の師である祖母との『独り歩禅』を愉しむことが出来た。一言も祖母は応えてはくれなかった。もう、諦められたのかな?(笑) ≪05:05~05:55 6500歩≫
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