2013/04/19

『ピンピンコロリ』はいい死に方?と問われて考えています。

 


 意気込んで早朝歩禅の準備を済ませて玄関を開けてガックリ。雨が降っていました。そう言えば、窓の明かりが暗かったなぁ、と反省する始末です。こんな朝もあります。そして、こんな日は「朝の読書」の時間に早変わり(午前5時)します。60分間の散歩時間を読書に切り替えです。何気なく取り上げた月刊誌に釘付けになりました。

小生の死に方の『あこがれ』はピンピンコロリでした。

しかし、東北大学名誉教授(内科医)の吉永馨氏(84歳)の記事を読みながら、早朝の老脳に衝撃が走りました。その一部を紹介します。 

・・・・・・・・・(前略)・・・

死を学ぶと生き方が変わってくるということですか。

吉永 死を学んで初めて、生きていることがどんなに貴重でありがたいかがわかるのです。死の実態を学び、人間いつかは死ぬものだと自覚すれば怖くない。大事なこの生を、もっと大切に生きるようになります。自分の生が大切ならば、あなたの生も、あなたの隣の人の生も大切だと。だから命を尊重し合わなければならないというふうに、世の中全体が違って見えてきます。死を学ぶことは、死ぬための備えではなくて、よく生きるための学びなんですよ。 

★『ピンピンコロリ』はいい死に方?

『ピンピンコロリ』が理想の死に方」と言う人は多いですが、吉永さんのお考えは違うようですね。

吉永 『ピンピンコロリ』は、いちばん悪い死に方ではないですか。考えてもみてください。今この瞬間までピンピンしていた人が急に死ぬということは、心筋梗塞か脳卒中、あるいは交通事故などです。果たしてこれが、いい死に方だと言えますか?

「いやいや、何も心筋梗塞で死にたいと言っているのじゃない。百まで元気に生きて、ある日コロツと逝きたいのだ」と、皆さんおっしゃる。それならそうと初めから言ってくれないと、「この人は死にたいのだ」と神さまが勘違いして、心筋梗塞をプレゼントしてくださるかもしれないですよ(笑)。

 それは冗談ですけれども、急に死なれてしまうと家族も困るし、会社の人も困ります。本人だって、言い残しておきたかったことがあったでしょう。ですから私は、『ピンピンコロリ』はいちばん悪い死に方だと思います。

 きんさん、ぎんさんのように、百まで生きてコロリという例は、ないわけではありませんが、極めて少数です。日本には今、百歳を超える方が五万人以上いますが、多くの場合寝たきりで、『ピンピン』ではありません。

「百まで生きて『ピンピンコロリ』は、非常に珍しいことなんですよ。それを目標として健康維持に励むのはいいことですが、容易に叶わぬ夢であることを忘れてはなりません。

 それとは逆に、『ピンピンコロリ』と死ねないガンなどは、自分が死んだあとのことに備えておけますね。例えば、財産をどうするかきちんと言い残しておくとか、しかるべき人に仕事を引き継いでおくとか。何よりも、周りの皆さんに「お世話になったね」「さようなら」と告げる余裕があるわけです。
         ・・・(後略)・・・・月刊誌「ラジオ深夜便 5月号」・・

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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