2013/04/28

教員としての「最初の卒業生」が、今日、我が家に訪問します!

 

 27歳の「ひねた(=当時は)」新採用教員が、29歳で15歳の「卒業生」を初めて送り出した出来事は、教師人生の始発駅となりました。今となっては大事件です。怖いもの知らずの無茶苦茶な指導者だったのですから、無事に卒業生を出せたこと自体が「人生の一里塚」だったと回顧しています。己れの力量なんて幾らも無かった筈なのに、「学年を背負って立っている」気風でいたことを自認すればするほどに周囲の先輩諸兄の眼に見えないご支援があったことを恥ずかしくも思い出しては自責の念に苛まれます。

幾つになっても年齢の差は縮まりません(笑)。溢れるほどの数が存在する、「14歳しか違わない社会人」ですが、小生にとっては貴重な44名の卒業生です。同窓会で再会した卒業生は異口同音に、「えっ、それしか(年齢差)無かったの?」とか、「老けて見えたよねぇ」とか、「新採用教員なんて考えたことも無かった」等々、どの発言を受け止めてみても、「生意気な若手教員だった」ことに反省しきりです。

なぜ、今日のブログにこんな自虐的な思考を公開している?

転居先に来客があります。55歳になる卒業生から来訪の一報が入りました。思い出の卒業生の一人です。毎年、暮れになると「ミニ同窓会」でも会っている人物ですので再会の緊張感など双方に存在しないでしょう。同世代の卒業生の中には、「お祖父ちゃん仲間」がいます。お祖母ちゃんは数名います。

気が付いてみれば、もうそんな年齢域に達しております。しかしながら、卒業生と会うとタイムマシーンで一気に「あの日」に戻ってしまいます。そんな時間が数時間後には展開されます。楽しみにして待っています。老妻に言われるまでも無く「少しは部屋を片付けようかな?」と心に決めました(笑)。

早朝歩禅(05:00~05:50 6300歩)の途中で、いつもとは違う今日のコースで見えた朝陽の昇る風景を撮りました。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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