花散らしの強風が今朝もまだ顕在でした。
すっかり花を落とした桜並木が心なしか未練がましく見えたのは「観る人」の思いを代弁していたのでしょうね。老妻が「今日から学校ね」と喋りかけました。現職の日々の夫も「学校に行く」リズムでしたので、この表現は『区切り』の常套表現でした。老妻の言葉は、「今日から孫(長男)が小学校最後の1年間の学校生活が始まるのね」の意味だという事は直ぐにわかりました。
長男孫が小学校を卒業すると末の孫が入学します。我が家にとって最後の小学校6年間が始まります。孫の面倒を看ることで同居を依頼されて転居した祖父ちゃん祖母ちゃんですから、最後の任期となります(笑)。当面の目標は任期を全うすることです。
「今日明日は、昼食の準備が要るんですよね」と自らに言い聞かせるように老妻が言葉を発します。「よろしくお願いしますよ」と他人事のような返事を夫が発します。意味の無い会話のようですが、「意味は無くても意義はある」老夫妻の会話なのです。狭い部屋に爺婆二人だけで顔を突き合わせていると「意味の無い会話」すら表出しないのです。つまり、「話すことなんて無いよ」の二人住まいなのです。
早朝の歩禅。
それは意味の無い会話を再現できる貴重な時間として意識しています。僅か60分間に交わす意味の無い会話が、互いの老脳に「ささやかな刺激」を与えあうのです。前を向いたまま顔を突き合わせて展開する会話で無いところも良いモノです。
林の向こうから出ずる朝陽と湖岸に咲く水仙と筑波山の風景写真を添付します。こんな空気の中の散歩を今日も済ませました。
平成25年度の『祖父母による孫のための委託業務』の開始であります。!!
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