2013/07/31

散歩人に「穂がでているね」と声を掛けられて!


 

 全く意識していない視野ってこんなモン!?

 確かに、今朝、ひょいと稲穂が出たわけじゃないよ!

 「ホントだ!稲穂がもうこんなに大きくなっているジャン」と叫んでしまった。
 蒸し暑いね!昨夜も寝苦しかったね!孫たちに今日も振り回されたね!

 自然界の異常さに振り回されて「視界ゼロ」の生活を繰り返している勝手な人間(生活者)には、言われてみて初めて気が付くことが多い。夏休みになって朝から終日のリズムを孫たちと伴にしていると、「見える筈のモノが見えていない」生活になってしまったようだ。登校して行った後は、帰宅する夕暮れまでは自由時間を貪っている老夫婦にとって夏休み(いつもと違うリズム)になって1週間は、異物を呑みこんだような状態での生活リズムになっていたようだ。

 稲穂の現状を見詰めて立ち止まった老夫婦。

 帰路の対話は、「もうこんな時期になっているんだね」に終始した。早場米であることは理解してはいるが、視野狭窄症に罹った老眼には成長している稲穂の米粒が拡大して見えた気分である。

 明日から8月。お盆にはまた別世帯の孫軍団がやって来る。暫く会っていない孫の成長にきっと驚くんだろうなぁ~。孫たちの成長ぶりに感動と感激で喜んでいる間に老衰は進んでいるんだろうか(笑)。苦笑で誤魔化せる話題ではないぞ。

 貴重な、貴重なこの有限の時間帯を、有意義に過ごしたいと期した朝である。




 

2013/07/30

散歩人に呼び止められました!!

 靄が掛かって鶴沼(散歩コース)の風情が味わえる朝の歩禅は何とも言えない。
 15分遅れの出発は夜来の雨の後遺症を案じていたためであったが、水たまりは残ってはいるが歩行には支障はないと判断するまでの時間で遅れてしまった。
 
 ここ数日、萩・津和野の豪雨被害のニュースをTV画面で追いながらその悲惨さに心痛し続けているので、昨夜の雨量等を「散歩が出来ない」なんて愚痴っては申し訳ない。歩き出して老夫婦の話材は、異常な気象状況下での集中豪雨であった。九州生まれの我々夫婦は、台風襲来を思い出すのが共通であるが、「今までに経験したことのない雨の降り方」との、気象庁職員の会見での言葉に驚くほどの想像を絶する降雨のようである。

 そんな話題をしながら沼の畔のコースを歩いていると、すれ違う老紳士に声を掛けられた。毎日会う散歩人なので朝の挨拶だけは交わしていたが、呼び止められることはなかった。

 「良いですね、夫婦そろっての散歩ができるのは。わしらも10年前までここを歩いていたんだよ。9年前に妻に先立たれて散歩も止めたんだ。2~3年前から独りで歩くことに決めて歩いているんだ。妻と一緒に歩いている時は感じなかったことが、亡くしてしまうとわかるもんだよ。二人一緒に元気で歩いてくださいよ。羨ましいなんて言ったら、あの世から妻が飛び降りて来て怒られちゃうよな。仲良く二人で歩き続けなさいよ」
 
 
 イントネーションからも地元の人だとわかった。
 1周が1.3キロしかない小さな沼であるので、この老紳士は数周されているようだ。周回すると確実に再会する散歩人である。

 「先ほどは有難うございました。私たちは転居して3年目です。環境が変わって老脳が麻痺状況になったりして閉じこもり気味になりそうなので、二人で「早朝に」歩こうと決めたんです。50年も住みなれた土地からの転居なので苦肉の策だったんです・・・・。」改めてお礼の言葉を告げた。笑顔で頷いていただいた。

 3年目を迎える当地での生活リズムに、何か新しい生命が生まれているような気がした朝である。帰路のコースで、「お名前はわからないし、お住まいも分からないけど、こうしてお話が出来るのは至福の時間ですよね」と、妻の問いかけにいつの間にか10名以上の散歩人と毎朝言葉を交わせる方々のことを思いだした。早朝の思いがけない「立ち止まり対話」で老脳にも新鮮な空気が運び込まれているような気分になり妙に納得することが出来た。



2013/07/29

『宴の後』の翌朝は散歩人も少なく・・・・。


 

 全国から届いた数通のメールを今朝、チェックして驚きました。

 27~28日が「夏祭り」だったようです。何百年も続く相馬の馬追い祭りは特別としても、多くの夏祭りの設定が同様に「時代の流れ」を証明しているようです。子どもたちが夏休みに入ってから地元のお祭りを済ませてから旧盆のための帰省となるリズムなのでしょう。大都市周辺でのリズムが地方都市にも波及していることを感じています。

 昨夜の事です。

 孫たちが神輿を担いだり、お囃子の太鼓を叩くともなると、地元意識の無い爺婆も重い腰を上げて会場まで移動するモノです。ご多分に漏れず、我々老夫婦も早い晩飯を済ませて出かけました。会場まで5分で行けるのが大助かりです。

 そして、今朝も歩禅に出掛けました。

 散歩人とほとんど会いません。すれ違って挨拶を交わした散歩人はホンの数名でした。沼の畔に建てられている東屋の周囲にも祭りの余波はありませんでした。昨年の記憶では、「宴の後」の残骸が異臭を発していました。今年はどうしたんでしょうか。毎朝、ゴミ拾いをしている方とも同様な話題をして帰って来ました。

 曇り空の帰路に、東から太陽が昇って来ました。
 今日も暑くなるんでしょうかね。全国各地の異常な豪雨にも心を痛める朝です。こちらも、連日「竜巻注意報」が流れて異常気象を感じています。

お知らせ:
小学校教員必読の記事を『新ブログ・寸心紀行』に登載しました。共に考えましょう!右欄からクリックでお入りください。






2013/07/28

昨夜のゲリラ的集中豪雨と雷鳴には・・・

 

 地元の夏祭りで母屋は昼食後からは空き家状態。

 午後3時には、孫が乗って叩く太鼓を山車で聞けると言うので老妻も出て行ったので小生は独りで、自室でゆっくり出来た。東東京・高校野球決勝戦となでしこジャパンの北朝鮮戦を連続してテレビ観戦をしながら時間を過ごした。

 このブログではスポーツ論は避けるが、「僅か1年間で戦力が変わる」ことを現役時代にオーバーラップさせながら観戦した。山車の公開演奏を観た老妻が帰宅して夕食の準備を終えた。早めの「閑かな夕食」を済ませ、隅田川花火大会のTV中継を愉しんでいたら東京地方の悪天候のために途中で中止になってしまった。気象異変には勝てない。諦めて風呂に入ることにした。

遠くからは太鼓や笛の音色がまだ聞こえる。警報こそ出ていなかったが、遠く聞こえていた雷鳴が頭上にやって来たように地鳴りを伴った落雷症状に急変した。風呂場の窓に連続して閃光が走る。同時に、外出している母屋軍団のことが心配になったが、どうしようもない。

暫くすると軍団がびっしょりになった姿でご帰還の様だ。老妻は風呂に入るタイミングがズレたようだが、甲斐甲斐しく面倒を看ているようだった。雷鳴はまだ続いていたが、今度は女子サッカーの韓国戦を応援すべく椅子に腰かけた。

ファンとは勝手なモノだ。面白くない!!(根拠はない)

そんな気分を押し殺すようにして(笑)、テレビを消して通常の就寝時刻には布団に横になった。いつの間にか眠ってしまったようだ。

どんな生態リズムなのか!今朝は寝坊してしまった。約1時間遅れの早朝歩禅の出発となってしまった。荒れた天候の爪痕が蓮田でもあるのかと目を見張ったが気づかなかった。確実に蓮の花は成長していた。






2013/07/27

「自然界の維持」で生かされている鳥(雉)の姿に感動!!

 


 九州で生まれて育った80歳になる従兄が、当地(茨城県)を訪問した折りに発した言葉がふと蘇った瞬間だった。「ここは、昔色の自然がそのままに残っとる!」の意味が分かるような気がした。九州とは言え、従兄の家は年中昼間のような灯りがともっている場所である。九州縦貫道と言う福岡県と鹿児島県を1つの道路で結ぶ高速道路の八代ジャンクションの脇に住んでいるのが、この従兄である。高速道路が生活の全てを変えてしまったと言っても過言では無いほどに集落の体系も変わってしまったそうだ。昔色とは、また風流な表現だったので妙にハッキリと記憶していたのである。

 我が「ミニ老人ホーム」(=長男宅に接続させた老夫婦用の『離れ』)のダイニングからは隣接する栗畑の緑が、今はもう大きく膨らんだ毬栗となって目の保養をしてくれている季節である。秋には毬も栗色になり開いて落ちて「栗拾い」の季節となるのである。

 緑の林の中を、ご注目ください。
 毎日、何処からともなく聞こえる異様な鳴き声に3年目にもなると耳慣れしたのだろうか、気にならなくなる程に野生の雉が生息しているのが当地である。転居して来るまで(70年近くも)、ホンモノの雉を見たことも無ければ鳴き声など知る訳がなかった。今では、時として、こうして数メートル離れた栗畑の中を悠然と歩いている雉の姿を居間(ダイニング)から肉眼で(笑)視ることが出来る。

 自然界が鳥の生存に寄与している現状を確認できる。共生していることの素晴らしさを実感できるのは至福の時間である。雉の鳴き声で目が覚めることもしばしばである。これも至福の瞬間である。

 早朝歩禅(50分6000歩)を終えて帰って来ると、もうすっかり明るくなっている。散歩コースでも遠くから雉の鳴き声が頻繁に耳に入ってくる。自然の崩壊は野鳥や他の生き物たちも住みにくくさせているのだろう。「自然との共生」の威力のようなモノを感じるのも緑濃いこの周辺に住みなれた証しだろうか。

 孫世代への贈り物は、やっぱり自然環境の維持なんだろうなぁ~。そんなことすら考える一枚の写真である。





2013/07/26

「里芋の葉っぱに溜まった水」を必死になって集めました!!

 

 小学生の頃、「習字の作品」を書き上げることが夏休みの宿題にありました。

 5歳上の次姉に付き合わされて里芋の畑に行きました。自分の背丈より高い里芋の葉っぱに溜まっている水を、持参した器に移し取るためでした。小生は頭の上から落ちてくる水で上着を濡らしました。姉に怒られながら下請け業務を遂行して自宅に器を持って帰ったモノでした。

 生まれ故郷(熊本県八代市)では、七夕も旧暦だったのでしょうか。夏休みに「七夕の短冊」に思いを書いて吊るしたのを記憶しているからです。それと同時作業が夏休みの宿題を完成することだったのでしょう。姉は必死に習字の練習をして作品を書いていました。その素が硯に注がれた、ずぶ濡れになって採取した「里芋の葉っぱ」に溜まった水だったのです。姉は寝言のように繰り返しました。

「この水を入れて摺った墨で書くと字が上手になる!!」

根拠は今でも不明ですが、前世代の人たちが語り継いだことには昔の人たちの生活の知恵がその根底にあるのでしょうね。姉はとても字が上手でした(笑)。

そんな幼い日々の思い出が浮かんできました。歩禅の定番コースの道端に大きく成長した里芋の葉が目に付きました。思わず立ち止まってデジカメを向けてみたくなりました。「玉のような露」には程遠く、美的な感覚は伴いませんが季節観だけでも全国の読者諸兄にお届けすることは出来たでしょうか?

ところで、もう一枚の写真です。

この「食物(=植物)の花」は何だと思われますか?里芋の畑に隣接していた畑に咲いていた花です。花は白いですが実は黒いモノです。

とても蒸し暑い早朝です。

利根川の水系では取水制限が始まったそうです。人間と自然との闘いは切っても切り離せないようです。自然界をバカにしていると人間は滅びますよね。人間は利便性の追求だけに明け暮れして現在に至っています。いつかは自然の脅威に腰を抜かす日が来るでしょうね。

「自然界との共生」を深く意識したい気分の朝です。近くの栗林の方で雉の鳴き声が今朝は強く聞こえます。
 
 
 
 
 

2013/07/25

ヒンヤリ感+靄(霞)の朝の空気は、また格別!


 

 4日間(正式には3日間)の、「意識有る」散歩を生活リズムから削りました。

 出来ない時は、出来なくて良いんだ!この思い込みは幼い時の祖母の教えを守り抜いている哲学でしょうかね。『三日坊主のススメ』を少年時代に語ってくれた父方の祖母の言葉がやけに浮かんでくるのが不思議でしょうがない!

 生活のリズムは創っても壊れやすい。それが悪いことでは無いことを子ども心に培われたお蔭でしょうね。崩れたら作り直せる状態まで放置しておいても平気でいられる性分です。友人たちに「図々しい・ふてぶてしい」と評価された所以でしょう。大試合や大きな出来事への出番があっても物怖じしないと言われたのも同じ次元での人生哲学なのでしょう。不思議にも思ったことが無いんですよ。

 5日ぶりの早朝歩禅。

 やっぱり良いです!今朝は靄がかかっていて先方が鮮明に見えない状態でした。4~5名の「散歩人」とは大きな声で挨拶を交わして帰って来ました。4日間のブランクは気にもなりません。サボった朝があっても気にしません。歩きたい気分にならないのに、「課題として」散歩するような考えは持ち合わせていませんので平気で歩くのを怠けます。その決断に躊躇はありません。

 朝の空気の清々しさを腹いっぱいに吸い込むと、チョッピリだけ「サボった」わが身を責めます(笑)。しかし、それ以上もそれ以下もありません。気持ちのいい早朝歩禅で心身ともにフレッシュな一日のスタートが出来ました。

※後輩教員諸兄へのお知らせ:右枠欄(新ブログ『寸心紀行』)をクリックして、書き下ろし原稿をご一読ください。「人財育成」に関する論考を登載しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2013/07/24

あれから19年も過ぎたのに、何も変わっていないような気がして・・・。


 これは、今朝の、NHKラジオ番組 ラジオ深夜便の「明日への言葉(=4:00~)」で、愛知県西尾市在住の大河内祥晴氏がインタビューに対する言葉でした。直ぐにメモを取った。老妻と一緒に記憶を弄るような気分で聴き入ってしまった。もう20年近くも時が流れたのに、氏が発した言葉の通りに、まだ同様の事件が連続して起きてしまっていることを確認せざるを得ないのが辛い。

 名古屋市の中学校でもつい先だって哀しい事件が起きている。更に、昨年には滋賀県大津市でも同様の痛ましい事件となって全国の中学生を持つ保護者を震撼させてしまった。氏の「何も変わっていない」という表現には、後の言葉が続いたのである。「特に、学校、取り分け先生たちの意識が・・・」と声が小さくなったのがとても気になってしまった。どんな事情があろうが、自らが「命を絶つ」ことは絶対に避けたいと、全ての教員が同意している筈である。それが、このような表現で、今でも示されることは重大な問題ではないだろうか。

 昨日、週刊誌で読んだ記事が重複してしまったのは、偶然とは言え複雑な心情に陥ってしまった。大河内氏の個人の考え方が言葉で表現されたとは言え、この言葉が発せられる背景を学校教育関係者(教員は特に)は意識しなければならないと、元・教員は自らへの戒めとしても感じている朝である。

 時まさに、学校から解放された子供たちは楽しい夏休みに入ったばかりである。学校関係者もホッとする期間でもあるが、学区の中で生活する子ども同士の行き来は自由で頻繁である。親は仕事に行ってしまっている現状を考えると老婆心が先行しているお祖父ちゃんでもある。
 
 
 
 
 
 
 

2013/07/23

つうしんぼ 人生を変えるモンじゃ なか!

 =通知表で人生が変わるものではありません。=故郷・熊本の地方新聞の『肥後狂句(ひごきょうく)』という欄で50年以上も前に拾った当時の中学生の川柳です。
 

 元・教員としては「通知表=つうしんぼ等」の記載責任者でした。中学校の教員が長かったので高校進学者のための資料作りには苦労しました。当時は相対評価(評価ランクに対しての決められた人数配分が決定される)でしたので、得点のホンの僅かな差異で、評点(=通知表の段階評価)が変わる時もあり、心痛の原因にもなり苦い思い出ばかりが浮かんできます。

 たまたま、我が家の孫たちも「お祖父ちゃん、これ・・・!」と発して、通知表(「あゆみ」と称していたかは無意識だったが)を置いて母屋に帰って行ったばかりだったので、この新聞記事を読んで苦笑してしまったわけです。

 学校に在職した時代にも、我が子の通知表に一喜一憂した記憶はありません。その現象は「親の感傷」なのでしょうか。子どもの「学校の成績」に人生を賭ける如き親の存在があれば一喜一憂は避けられないでしょうね。子ども心に自分の人生観にまで及ぶような家庭もあるとすれば通知表の存在感も考える必要があるでしょう。考えただけでも居たたまれなくなってしまいます。

 我が子の「通知表」も全て検閲はしましたが、担任の先生が「我が子をどう視て貰っているのか」、の観点では関心がありました。親の目に映る我が子が集団の中でどのような振る舞いをしているのかを注目したモノです。「良く視ているなぁ~」と同業者に刺激されたことがあったことも事実です。

 学校教育機関を卒業して社会人になると「成績通知表」は存在しません。それ以上に厳しい評価や評定に苛まれます。「学校の先生」が点けた点数が「人生を左右する」かのごとき切迫感を煽るような子育てだけは避けて欲しいと願っています。学習成績だけに着眼して、「条件付き」叱咤激励は危険です。「~になったら~を買ってあげるね」「~点につき〇〇円」との条件は頷けません。評価には「比較する」という観念作業が伴います。新聞記事のコラムニストの表現にもあります。

 子育て中の親御さんにはじっくり読んでいただきたい。評価の最終目標は「期待する」ことにあることを子どもたちにも話して戴きたい。親御さんに「期待する」次第です。
 

通信簿という名称は古び、通知表も時代遅れらしい。いまは 「あゆみ」と呼ぶ小学校が多いそうだ。夏休み最初の日曜、安倍政権の7ヵ月の歩みに、有権者は二重丸をつけた。「1強体制」という声を聞きながら、自民党が参院の第1党に返り咲いた▼安全運転の成果でもあろう。憲法改変も原発も、負担増もTPPも、危ないところはボカシをかけ、道の真ん中を走ってきた。歴史認識で地金も見えかけたが、ハンドルを切り直した。すべて参院選のため、との見方がもっはらだった▼選挙が済めば、大事なのは行く先になる。道路の右側で手招きをする支持者は少なくない。衆参の 「ねじれ」が消え、ブレー牛なしも心配される。まずは8月15日、靖国神社を巡る対応あたりが一つの目安になりそうだ▼6年前、7月30日の本紙を見ると、1面に「自民 歴史的大敗」とある。安倍首相は唇をかみ、政権転落の序曲となった。陰画と陽画を見るような前回との差は、民主党のふがいなさ抜きに語れない▼あれほどの支持を集めながら、期待を裏切った。昨年末の衆院選、6月の東京都議選、そして今回と、続けて落第の×をもらった。これでは安倍さんの通信簿が相対的に甘くなるのは、いかんともしがたい▼〈落第や吹かせておけよハーモニカ〉小沢昭一。だが世間の目はこの一句ほど優しくはない。捲土重来を期す意気が民主党に残つていようか。新味はなくても経験は生きる。現首相を見ても、それが2度目の強みだと思うが。            7月22日 【天声人語】






2013/07/22

遅く起きた朝の目覚めは、「咲きましたよ」の声!


 2年目もカサブランカの花が咲きました。

 一昨年の秋、茨城県立フラワーセンターで買い求めた球根です。神奈川県から茨城県に転居した記念(?)に買いました。植物を育てたことも無いど素人の「怖いもの知らずの買い物」であることが後で判明しました。

 名古屋に住む友人に聞いたのがその発端でした。彼はその道の専門家です。細かな指示をもらってその通りに植え付けました。せっかちな「元・教員」は、2つの鉢から何の音波(聞こえる筈の無い)も土壌の変化も見えないままの数か月で、半ば諦めてしまいました。

 ところがある日、芽が出ているのに気付いたのです。

そうなると、今度は枯らしてはいけないとばかりに名古屋の友人には執拗なまでの指導要請をしてしまいました。成長の速さに驚いていると、通り掛かった農家のお婆ちゃんから、「夕陽に弱いから気を付けな!」と、自らの失敗談を披露していただきました。夕陽の当たらない場所探しも苦慮しました。

 一年目に花が見事に咲きました。写真を見た名古屋の友人から「1本はカサブランカじゃないね」と言われ愕然としましたが、「もう1本は確かにホンモノだよ」との示唆を受け老夫婦は有頂天になりました。長男嫁は切り取って職場に飾りたいと持って行きました。

 花が咲き終わってしまった後の始末も名古屋の友人の指導を受けながら2年目を迎えました。愛情が減少した訳ではないのですが、初年度のような一喜一憂も少なく、今日まで来たのです。去年と同様にカサブランカ擬きの大輪のユリが開花したので友人に写真を送ると、「もう直に、カサブランカが咲くよ」との返事をもらったので開花を心待ちにしていました。

 いつも4時前に起きる主が、何か月ぶりに寝坊しました。

 昨夜の深酒が祟ったのでしょう。しかし、「未だ起きないんですか?カサブランカが咲きましたよ」の老妻の声が、夢心地の老脳(=二日酔い擬き)に爽やかな風を吹き込んでくれました。飛び起きて着替えを済ませてデジカメを持って庭に出ました。思わず歓声をあげてしまいました。カサブランカが咲いているサイドの庭は隣家とは50メートルは離れていますので、爺の歓声など届きません(笑)。

 写真で、読者諸兄にも「歓声」のお裾分けをいたしましょう。

 京都で入院生活をされている先輩知人(当ブログの愛読者)にもお見舞いとしてアップしました。香りを届けられないのが心苦しいですがお許し願いましょう。
 

2013/07/21

「月光」が琉球あさがおの蔓の向こうに見えました!


 昨夕の光景です。

 二軒先(隣)の庭先では10人ばかりの宴会が始まっていました。この季節になると、近隣からは屋外宴会の声が良く聞こえます。殆どの家に広い庭(芝生の)があるので、親しい友人が集まって楽しい宴になるのでしょう。こちらも大らかな気分になります。

 親子で集うお家の様です。

同行して来た小学生低学年の子ども達も楽しそうに笑い声を発しているのが聞こえます。微笑ましい思いになります。60年以上も昔の、我が幼き頃の楽しい夏祭りが一つの郷愁として思い出され長閑な気分に浸ることができます。

 そんな声を耳にしながら暗くなり始めた南の空を眺めて「お月様」の存在に気づきました。小生は「天文学」も苦手分野なのです。だから、「今宵の月」が何という名称かもわかりません。ただ、未だ夕暮れの佇まいが残る南の空に目立たない存在感でありながらも顕在している姿には妙に惹かれるのです。

 ご存知の方はこの時期の月の通称を教えてください。

 ところで、昨日から我が家の孫たちの夏休みが始まりました。今日までは両親が休日です。明日からは、祖父母と孫達との『戦国時代』の合戦が始まります。年年歳歳戦力の変動があります。年々衰えて行く「祖父母軍」と、三日会わぬと見違える成長を遂げている「孫軍団」とでは、勝利の行方は計り知れるモノでございましょう(笑)。

 心して、孫たちにとって健康で元気な長期休業になるよう「お務め」は果たせるよう頑張りたいと老妻と語り合っている朝です。

2013/07/20

非常事態発生時の児童引き渡し訓練に参加しました!



 祖父としての任務を果たしました。

 それは昨日の事です。二人の小学生を引き取りに行って来ました。二人の担任の先生方それぞれに祖父であることを告げて孫を連れて帰って来ました。全学年単学級の小規模小学校ですが、運動場も広く(引き取りにやってくる車が誘導されていて)面喰いました。留守役の祖父母の重要な任務です。心して(立場を変えて)参加して来ました。立場を変えると「見えなかったモノが見えて」しまいました。反省しながらのひと時でした。

 京都に住む知人からメールが絶えてかなりの日数が経ちました。安否を心配してメールを送信したら入院しているとの情報を得ました。

 知人からの返信メールで、このブログを病室のベッドで見ているとの事でした。小生のこのブログは「元気の素」だ、とのメールを読んで嬉しいやら恥ずかしいやらで今朝はパソコンに向かっています。元気になって欲しいと祈りつつ、当地の風景を写真にして「お見舞い」代わりにしてアップします。歩禅に伴をする老妻も、「この風景はどう?」と提案してくれました。撮影技術のない小生にとっては、意識すると老妻提案のアングルは受け止めながらも上手く撮れません(笑)。
 

 今朝の室温が22度です。

 ヒンヤリするどころではありません。長袖で早朝歩禅を終えて帰って来ました。汗もかきませんでした。それでも、健康で歩ける幸せに感謝すべきだと痛感しています。京都の知人の手術の成功と快復を心より祈っています。





 

2013/07/19

早朝4時のこの「ヒンヤリ感」が堪えられない!!


 

 定番の歩禅コースを回って家に向かう方向に当たる頃(4時半過ぎ)、東の空が真っ赤に燃えて来る。登山者は山頂から眺めると「ご来迎」と言うのだろうか。湖面から遠ざかった地点で今朝の平地・ご来迎と遭遇した。カメラを向けている小生に向かって散歩人から声が掛かった。「お仕事なんですか?」と問われることは、この写真がどこかに登載されると考えられたのだろうか? 

 気紛れブロガーの好い加減なブログの賑わいに使用するだけ!(笑) 

 そんな答えを返すわけはないが、「いいえ、ホンの趣味なんです。あんまり空が奇麗ですので撮っているんです」と笑顔で応えて歩き続けた。湖面の脇に、夜明けを待ち続ける街灯がある。これは往きの様子である。まだ、空には未だ明るさが無い時間帯である。ソーラー設備の街灯である。明るくなると自然に消える装置の街灯の様であるが沼の畔にフィットする洒落た光景に一役を果たしている。

 50分も歩き続ける頃には、朝陽も昇って街灯も消える。僅かな時間の流れに風景の急変が見える。この現象が「地球が回っている」ことなのだろうか。理科系の脳味噌を持ち合わせない小生には、必死に言い聞かせるだけでこんな歳になってしまった(笑)。

 今日も暑くなりそうだ。孫たちは今日まで学校人として過ごすが、明日から家庭人に戻るそうだ。日中は静かだった爺婆の生活リズムが180度の転換を要求される。もう、夏休みが始まるようだ。やれやれ・・・・・(笑)。






2013/07/18

悪天候を予測できる空模様は、出発直前は真っ暗!



 庭に水溜まりはないが、十分な湿度が感じられる。

 玄関に引き返してビニール傘を取って出発することにした。「傘まで持って歩禅はしない!」と、豪語した本人の今朝の行動には我ながら矛盾を感じる。勝手な論法者とは自らが一番知っていることと妙な納得のさせ方で傘持参で歩き出した。

 傘を持っていると小降りの雨も怖くない(笑)。いやはや、誠に勝手な人生を歩いたままに70年近く生きてきたことになる。

 どんよりした雲の下に、蓮田にも蓮の花が目に見えて数が増えているのが確認できた。当地はレンコン生産量・日本一らしい。JRの駅周辺でも見渡す限りの蓮田である。来客を駅まで送る時も蓮田の中を走る農道を利して運転するが、この時期の『蓮の花』の開花は見事な風景である。

 結局、傘は持参だけで終わった。

 帰宅して『猫の額』(=我が庭の通称)で野菜を収穫する。今はミニトマトとキュウリである。朝食の馳走になる。新鮮な野菜を食する至福の時間である。ダイニングから手が届くところに、栗の実が緑の毬に包まれて大きく成長している。秋の収穫が楽しみである(我が家の収穫ではありません!)。農家からのお裾分けを秘かに期待しているセコイ爺である。
 
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2013/07/17

歩き始めると「ぽつり、ぽつり」小さな雨粒が落ちてきた!


 傘を手にして歩いている散歩人がいる。

 そんなにしてまで歩く義務感は持ち合わせていない。周回コースを歩くことにしているのでターンする箇所がある。そこまで往く内に降られると困る。急遽、進路変更をする。妻は何も言わずについて歩く。車で保育園児の孫を送り迎えする道路に出た。いつもとは方向を変えて雨模様を考慮しながら歩くことにした。

 街灯が未だ点いている。

 バスや大型自動車の往来の激しい道路だが、4時過ぎの早朝では流石に道路の真ん中を歩いても事故には遭遇しない。「道路の真ん中を歩こう」と妻を誘うが載ってこない。独りで歩くには大人げない。100メートルも歩かない内に歩道に戻った。妻は苦笑いをしている。「幾つになっても幼児性が抜けないんだから」と内心で思っているのだろう。

 降り出しそうで降らない。我が人生と同じだ。

 こんな日もある。家はどんどん近くなるが想定した降雨は現実化しない。仕方が無いのでもう一本先の横断歩道まで行ったら右折して帰宅することにしようと決めて歩き続ける。

 降らないと決め込んだらしい妻が、昨日の(自分の)従弟夫婦の訪問の事に触れながら丁寧にお礼を告げる。妻とは2歳違いの従弟である。小学校には一緒に登校した仲間である。いつの間にか還暦もとっくに超えた従姉弟同士が、幼い頃の思い出を語り合っていた。墓前でも従弟は暫くの間無言で額ずいたままだった。走馬灯が50年以上の前を放映しながら回ったことだろう。

 結局、雨に降られないままで、早朝の50分間を歩いて帰宅した。我が家の『猫の額』には、待望のスカーレットオハラという朝顔が一輪咲いて待っていた。カサブランカの花の開花も間近の様だ。
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2013/07/16

この「ヒンヤリ感」は季節はいつの頃??

 

 早朝歩禅から帰宅して老妻が部屋の温度を見る。「今、23度ですよ」と応えるのだから1時間前の夜が明けていない時間帯であれば1~2度は低かっただろうか。そんな肌寒ささえ感じた出発直前だった。

 約1時間の歩禅が(天候に遮られることも無く)1週間続けることができた。「三日坊主のススメ」という我が人生論(=エッセー)は、PTAや市民団体からの講演依頼では群を抜く演題でもある。そんな小生が、平気で「1週間続きました!」と言葉を発するようになると人生哲学も変質するのかも知れませんなぁ~。

 すれ違う散歩人との朝の挨拶は、「今朝は陽気が良いですね」「この位だと歩きやすいですね」「寒さを感じません?」等々であった。

 沼の湖面には朝陽が昇る予兆が映っていたが、30分も歩いて来ると林の木立の間に今日の日の出を発見した。

 今日は、九州から来客がある。

 老妻の従弟夫妻が、叔父である(老妻の)父親のお墓参りに来てくれると言う。この猛暑の中の遠隔地までの墓参に頭が下がる。従弟の娘さんが神奈川県相模原に嫁いでいるらしい。そこの孫との対面も目的らしいが、足を延ばして当地まで夫婦でやって来ると言う心が嬉しいではないか。叔父に可愛がられたとの思い出話が墓前で飛び出すことだろう。昼間は猛暑日だろうが、再会を老妻は楽しみにしているようだ。
 
 
 
 
 
 
 
 

2013/07/15

久しぶりに、雷鳴と雨音に目が覚めた夜でした!

        
        
    
            こんなネット記事を読んで苦笑しています。
  

埼玉で熱中症1人死亡 部屋の「湿度」にも注意を!

 714()1730分配信

 連休中も厳しい暑さが続いています。神奈川県大和市では、部活動中の中学生12人が熱中症の疑いで搬送されました。また、埼玉県羽生市では、77歳の男性が14日朝、寝室で倒れていて、その後、死亡しました。羽生市の近くの熊谷市では午前3時に湿度が89%に達していて、男性は夜間に熱中症にかかったとみられています。どちらのケースでも、室内でエアコンは使われていませんでした
 
 
 
            7月15日・歩禅記  「海の日」の『茅ヶ崎海岸の早朝』

 就寝時刻が9時だと言うと、殆どの人が呆れ顔になります。
 起床時刻が3時半ごろと付け足すと驚きと信じられない時計のリズムに複雑な顔に変わります。昨夜11時前に目が覚めてしまいました。通常の夜は深夜1時ごろに一度だけ小用に起きるだけですが、いつもの時刻だと思い込んでいたのですが、雷鳴の凄さと屋根を打つ雨音の強さに目が覚めたことに気づきました。明日の早朝歩禅は中止だな、と勝手に決め込んで再び布団に転がるとまた熟睡したようです。
 目覚ましの体内時計は確立している爺です。
 眼が開いて時計を見ると3時15分でしたので起き上がりました。直後に老妻も起きたので、「雨は止んだようだね」と会話をしながら身支度を始めました。4時に玄関を開けると外はいつも以上の暗さでしたが、降雨の無いことを確認して早朝歩禅に出かけました。
 今朝は途中で引き返して帰宅しました。雨粒の大きさと勢いが増してくると判断したからです。50分間の歩禅が40分弱で終わりましたが、「こんな日もあるさ」とあっさりとしたものです。
 今日が「海の日」だと言うので50年近く住んだ神奈川県茅ケ崎市の海岸は賑わっているだろうなぁ、とちょっと懐古の思いが脳裏を掠めている朝です。


2013/07/14

今日は、我が聴講生諸君の「本番・当日」です!!

 
 早朝歩禅は通常通りに済ませることが出来ました。
 今朝は靄がかかっていて、沼の全景も全く見えない状況でした。早朝の「ヒンヤリ感」もさほど感じないままに帰って来ました。沼の畔にある駐車場脇の休憩所に赤色灯が点滅していましたので、パトカーでも来ているのかと心配しながら歩きました。公衆トイレの入り口についていた常備灯が点滅して交換を要求している状態だと判明しました。
 昨年の夏休み期間も、湖畔の東屋での飲食の残骸に茫然としたこともありました。「そんな季節」を実感してしまいました。日本社会の規範意識の低下を年年歳歳感じつつ哀しい思いになるのは小生だけではありますまい!!


 
今日は神奈川県および政令都市の教員採用試験日です。

 距離的に時間を要する受験者はそろそろ自宅を出る頃でしょうか?『袖触れ合うも多生の縁』とも言える出会いが、開講期間(5~6月)だけの触れあい機関も今年の前哨戦は終わっている。本日の一次試験で合格をすれば、二次試験対策講座(二日間)が準備されている。そこでの再会を約束して最終講義を終えたが、受験者とは異なる動悸を覚えるのは、短期間であっても「苦労を共にした」思いが、今年も去年と同様に募って来る。直前に受信した受講生からのメールをご紹介しましょう。 

 こんばんは。お世話になっております。ここまで、辛口(?)の中にもユーモアがあふれ、わかりやすくて本当にためになるアドバイスや温かいコメントを多数いただき、ありがとうございます。現在、仕事の合間をぬって採用試験の勉強の追い込みをしているところです。さて、6月30日講義での演習課題の論作文(竹の種子に関する文献からの論作文及び論拠⑨)を作成し、ワード形式のデータで添付させていただきました。文章の添削につきまして、よろしくお願いいたします。
●追伸
 論拠⑩「コミュニケーション能力を育む学級」についてはまだ完成しておりません。 仕上がり次第メールして、添削をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。


 プロ野球選手・山本昌(中日ドラゴンズ投手)は小生の卒業生であることは、読者の方にはお馴染みだと思われます。発展途上の彼には、労いやお祝いの言葉は掛けたこともありませんでした。しかし、この8月で48歳になる卒業生には、もうそんな厳しい指導は似合いません。
 「頑張ってるね、先生も負けておれんぞ!」と、昨夕はメールを送信しました。「有難うございます。周囲に支えられてまだ現役でおれる幸せを感じています。」との返信が届きました。
 そんな卒業生の記事をスポーツ紙で拾いました。小生にとっては教師冥利の一コマです。

2013/07/13

『選挙の遊説カー』から聴き慣れない言葉が耳に届く

 

 酷暑(=「猛暑日」と言うらしい)がこんなに続くとは!!

 九州生まれの小生夫婦は、少々の暑さには負けない。自負し、豪語し続けていたが、35℃を超えるここ数日の気温の連続と、テレビやラジオから流れる「注意報と警報」が流石の盤石に鍛え上げられた(?)肉体にも不安が過り始めている()

 連日の「竜巻情報」の提供にも閉口する。気温が下がらないままに、雨戸を閉めて竜巻の襲来に備えるのであるから室温の高度は上がるばかりである。エアコン嫌いとなると室内温度の調整は扇風機と団扇である。意地を張っているつもりは毛頭ないが、あの冷気に対しては拒み続ける老体であるのでやむを得ない。

 注意報や警報が解除されると明るさの残る夕暮れに向かって雨戸を開ける。網戸から入ってくる涼風に自然環境の良さを実感する。目の前の栗畑を雉のつがいが歩くような大好きな緑地帯なのである。

 参議院選挙の論戦は、「国民の目線」とやらの言葉とは裏腹に庶民の生活と遊離するような党利党益のための演説ぶりが耳に届いている。これからの自国の行く末を案じるばかりの高齢者となってしまったようだ。

 今日の新聞で目に留まった記事は沢山あるが、その一つを紹介したい。

中高生の必需品になってしまっている携帯電話の存在感が、「学校の規則」を守ろうとする中学生の懸命な努力を空しく崩壊させようとする現状を、学校関係者はどう捉えるべきだろうか?
 

公衆電話を切り捨てないで

                 中学生 岡田 舞 (東京都 15)

 

私は自宅の最寄り駅に設置されている1台の公衆電話をよく使用する。私の学校は携帯電話が禁止されているので、学校帰りに特別な用事がある日は、親と連絡を取り合う。

 しかし、先日私か利用しようとした時、公衆電話は壊れていた。私は大変困った。この事態に気づく人もおらず、どうすることも出来なかつた。近くに他の公衆電話はなく、そこで初めて数の少なさを痛感した。

 最近は携帯電話が普及して、多くの人が所持しているため、公衆電話が使用される機会は少なくなっている。公衆電話を普段使わない人には、もはやそこにあることすら気づかないほど不要なものとなっているのではないか。し 私は、公衆電話は必要なものだと思う。それは携帯電話を所持していない人や忘れてしまった人などにとって利用価値があるからだ。少数派にしか役立たないものでも、切り捨てるのはやめてほしい。

とんぼは、トマトが好きなんでしょうかね!?



 今朝は4時前に家を出ました。昨夜は寝苦しさが無かった分だけ早朝の「ヒンヤリ感」はさほど感じないで50分間の早朝歩禅から帰宅しました。
 朝陽の昇る光景が好きな小生にとって曇天は気に入りません!(笑)
 帰宅して『猫の額』の鑑賞しました。
 昨夕、孫たちがミニトマトを取って喜んで食べていました。「あま~い!」とはしゃぐ声に老妻は満足そうでした。今朝はカメラを向けながらビックリしました。トマトの実にトンボが停まっていました。逃げない内に、と慌てたのであんまり上手く撮れていませんが、わかりますか?
 夏の花が沢山咲き始めました。老妻の念願だった「仏花」を買うことも無く日替わりに仏壇を賑わしてくれています。朝のお務めも楽しそうです。
 今年は、琉球朝顔の花が沢山咲いてくれます。琉球朝顔は花が咲かないと思い込んでしまったのは、昨年の品種だったようです。
 世の中は今日から3連休のようです。小生は毎日が「連休」の連続です、申し訳ありません(笑)。
 

2013/07/12

「人材の育成」には、指導者の厳しい「感性力」が問われる!

 

 深い愛情を注いで、熱く諭して、勇気を促すだけでは『人』は育たない。

 ひねくれモン・いじけ虫・僻み性・臆病者・・・・、と自らを甚振ってみてもこんな症状が治る術はないようだ。医者にも治せん!!()

 「自ら課題を見つけ、自ら解決する力を養成する」のが現代・学校教育における要求されている指導理念と承知している。指導者(教員)に、「これを為すべし」と課されても所詮、絵に描いた餅に過ぎないような気がするのは自らの力量を翳してみてしまうからなのだろうか。現職の校長時代にも、孤室(=こしつ)で、独りで悩んだことも懐かしい。孤独と孤立が同居する校長室のことをこんな造語で玩んでいたいい加減な校長だったと自省もしている。

 ところで、人は何年草?

 1年草の花では無いことぐらいは誰でも知っている。小生はもう70年間近く「咲いている花」である。ご迷惑ではあろうが、まだ咲き続けている(笑)。萎んだり、枯れかけた時期もあったが、その都度、「人の言葉」で立ち直らせていただいた。育てて戴いた行為や言動に心から感謝している。現職でしか出来ないことが多いことも承知している。
 教員として『20年草』になった頃で大輪を咲かせる前兆が現れないと種も落とすことができないのではないだろうか。細やかな経験値である。授業を観察する鋭い視線の先には、将来を託して見たくなるような『20年草』が存在するのである。今回の高知市・広島市の学校訪問では、そんな逸材に遭遇した。老輩の視線がギラギラしたことは事実である。

 現場での「育成事業」に加勢できることを老輩は考えている。それは、「授業を観る(=視る・診る・看る)」ことでしか援助はできない。感性が鈍っていると、良いモノも良いモノとして活かすことはできない。そのタイミングは実に微妙である。ホンの僅かな時間のズレで「成長を促す」援助が差し伸べることができなかったことも少なくない。

 人材の育成は急務である。管理職の苦労に少しでもお役にたてるよう心して今後も学校訪問をしたいと考えている。



 

今朝も蒸し暑い夜気の中で早朝歩禅を終えました!


 毎晩の寝苦しさには辟易です。睡眠不足になりませんかね。
 そんな余計な心配までしてしまいます。
 歩禅コースの沼の湖面に番の鴨が気持ちよく泳いでいる光景を見ました。隣接する蓮田にもこんなに開いた蓮の花を見つけました。帰りの東の空から今朝も曇り空から顔を出してくれました。
 明日から連休だそうですね。「海の日」って何なんだろう!こんな祝祭日の存在感を訝しく思うのは老輩の証でしょうね。
   それにしても、朝から「ひぐらし」の鳴き声が聞こえるって、どういうことなんでしょうか?

2013/07/11

曇り空の間からお日様がチラッと見えました!


 デジカメのシャッターを切って、数百メートル歩いたら「昇る」朝陽の姿を撮ろうと歩き続けました。 
 写真の左の林を抜けたら次のシャッターチャンスと計画したのですが、数分も掛からない時間の流れで、とうとう太陽の姿は見ることが出来ませんでした。やっぱり、「いつ撮るの? 今でしょ!」の流行語にピッタリでした。
 この機会を逸すると、次の機会はいつ来るんでしょ??そんな冗談を言いながら50分6000歩の早朝歩禅を終えて帰宅しました。
 『猫の額』の我が家の庭には、昨夕、捥いで食べたキュウリの「次の」獲物が一晩で大きくなっていました。洗って塩をかけて頬張りながら晩酌を満喫できる。サイコーの幸せだと老妻に語り掛けました。
 今日も、また、暑さとの勝負でしょうか?全国の皆さんの「暑さ」対策はいかがでしょうか?まだ、エアコンのカバーは着いたままですよ、我が家は。無理して我慢して熱中症に!!なんて考えたりもするのですが、まだ大丈夫です!!



2013/07/10

私は、「授業を観ながら」何を考えている?


 授業を観るとは?

 授業を観察することである。観察の標的は児童生徒の学習姿勢である。児童生徒の授業での生態は「学校そのものの」であると断言したい。そのために、授業中の変容する児童生徒の瞬間を「観察する」ことが本務であると確信している。

 校長が替われば(=変われば)学校が変わる。教員が変われば子ども(=児童・生徒)は変わる。この表現は「耳にタコ」である。しかし、本質が理解されていないのが残念である。

 授業が変われば児童生徒が変わるのであれば、学校が変わる、と連動する。トップリーダーは、その時点で「どのようにしたら」授業を変える力を持つ教員を変えるかを考えねばなるまい。

 集団での変容は外観では安堵するが、中身の変質を同時に期待しては危険である。集団が変わることは個の変容が顕著に表出した時にホンモノとなると考えたい。既に、当ブログで登載した小学校の学校長より昨日、メールが届いた。以下に紹介するが、「追伸」の行に注目して頂きたい。

 個の変容無くして集団の変貌を期待してはなるまい。 

お陰様で、大津小学校は元気になっています。1学期の締めくくりをしっかりしたいと思います。2学期にお越しいただいた時に、がっかりされないように努力します。 暑い毎日です。角田先生、お元気でお過ごしください。
追伸  『リベンジの彼』は、上昇気流に乗って、ますます頑張っています。 

研究会での、小生の拙い話に真剣に聴き入る風景(写真)を学校長からいただいた。学校長の眼にも自校の変容の胎動が感じられたのかも知れない。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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