どうしてこうなったんだ!
彼らは何が不満で、その矛先をこっち(学校)に向けて来るんだ!
保護者と話をしても、何かが噛みあわない。
親も教員も必死だったのに結末は悲惨だった。(昭和50年代)
随分昔の出来事が老脳の走馬灯にはっきりと映し出された。それが今回の訪問校に足を入れた瞬間だった。生徒指導への指導助言が目的で学校から招請されたのではない。しかしながら、『昔取った杵柄』は30年間もの間、陽の目を見ずに潜ってはいても、その当時の力を持ち上げて来たことが証明である。
学校長の案内を受けて、授業風景を見ながら忘れていた筈の中学校の授業風景が浮かび上がってきた。「この小学校の教員の苦労」は文章表現では伝えることができない。低学年の授業風景を垣間見ただけで、心が痛んだ。全国のどこの小学校を訪問しても、30年前とは比較にならないほどに幼児からの「生活の乱れ」を引き摺っている低学年の授業中に表出しているのを承知はしていた。
「夜更かし・朝寝坊・朝食なし」の生活の乱れから来る倦怠感が小学1年生に顕著である。1時間目の授業で欠伸を連発する1年生には「ピカピカの」の代名詞が泣いてしまう。明らかに障害が認められる児童の数も増えている。昔は入学当時の倦怠感もだらし無さも学年進行と同時に自然消滅したモノだった。「学校教育の成果」として社会にも認知されていた。だから、「その内に」の合言葉で教育者集団は我慢強く指導が出来たのである。
しかし、昨今の状況は違う。
幼児のまま(躾け不十分)で入学して、そのまま成長し切れないで中学校に入学してしまう。これでは中学校の教員としては堪ったものではない。授業以前の問題なのである。
学校長の言葉が印象的だった。「日々の本校の教員の努力で随分良くなりました。成立する授業が多くなったので、本腰を入れて授業研究に取り組みたい一心で角田先生を招請しました」と。「授業で積極的な生徒指導を!」という小生の教育理念をご理解いただいている学校長である。
5~6年生の授業を観察するために教室入った。
元・中学校教員の眼に映った光景に、「この先生たちは凄い!」と唸り声が飛び出しそうであった。『生徒指導』の理念で「授業を創る」ことができる授業者には、幾つかの条件が要求される。思いつくままに以下に述べると、
①子どもへの愛情②教育への情熱③積極的な自己鍛錬④包容力と協調性⑤揺るがない責任感、・・・と列挙に暇がないほどに浮かんでくる。その中の幾つもの条件を満たしている訪問校の教員には授業を創る雰囲気がある。安心して授業を観察してみた。 (つづく)
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