傘を手にして歩いている散歩人がいる。
そんなにしてまで歩く義務感は持ち合わせていない。周回コースを歩くことにしているのでターンする箇所がある。そこまで往く内に降られると困る。急遽、進路変更をする。妻は何も言わずについて歩く。車で保育園児の孫を送り迎えする道路に出た。いつもとは方向を変えて雨模様を考慮しながら歩くことにした。
街灯が未だ点いている。
バスや大型自動車の往来の激しい道路だが、4時過ぎの早朝では流石に道路の真ん中を歩いても事故には遭遇しない。「道路の真ん中を歩こう」と妻を誘うが載ってこない。独りで歩くには大人げない。100メートルも歩かない内に歩道に戻った。妻は苦笑いをしている。「幾つになっても幼児性が抜けないんだから」と内心で思っているのだろう。
降り出しそうで降らない。我が人生と同じだ。
こんな日もある。家はどんどん近くなるが想定した降雨は現実化しない。仕方が無いのでもう一本先の横断歩道まで行ったら右折して帰宅することにしようと決めて歩き続ける。
降らないと決め込んだらしい妻が、昨日の(自分の)従弟夫婦の訪問の事に触れながら丁寧にお礼を告げる。妻とは2歳違いの従弟である。小学校には一緒に登校した仲間である。いつの間にか還暦もとっくに超えた従姉弟同士が、幼い頃の思い出を語り合っていた。墓前でも従弟は暫くの間無言で額ずいたままだった。走馬灯が50年以上の前を放映しながら回ったことだろう。
結局、雨に降られないままで、早朝の50分間を歩いて帰宅した。我が家の『猫の額』には、待望のスカーレットオハラという朝顔が一輪咲いて待っていた。カサブランカの花の開花も間近の様だ。
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