2013/07/24

あれから19年も過ぎたのに、何も変わっていないような気がして・・・。


 これは、今朝の、NHKラジオ番組 ラジオ深夜便の「明日への言葉(=4:00~)」で、愛知県西尾市在住の大河内祥晴氏がインタビューに対する言葉でした。直ぐにメモを取った。老妻と一緒に記憶を弄るような気分で聴き入ってしまった。もう20年近くも時が流れたのに、氏が発した言葉の通りに、まだ同様の事件が連続して起きてしまっていることを確認せざるを得ないのが辛い。

 名古屋市の中学校でもつい先だって哀しい事件が起きている。更に、昨年には滋賀県大津市でも同様の痛ましい事件となって全国の中学生を持つ保護者を震撼させてしまった。氏の「何も変わっていない」という表現には、後の言葉が続いたのである。「特に、学校、取り分け先生たちの意識が・・・」と声が小さくなったのがとても気になってしまった。どんな事情があろうが、自らが「命を絶つ」ことは絶対に避けたいと、全ての教員が同意している筈である。それが、このような表現で、今でも示されることは重大な問題ではないだろうか。

 昨日、週刊誌で読んだ記事が重複してしまったのは、偶然とは言え複雑な心情に陥ってしまった。大河内氏の個人の考え方が言葉で表現されたとは言え、この言葉が発せられる背景を学校教育関係者(教員は特に)は意識しなければならないと、元・教員は自らへの戒めとしても感じている朝である。

 時まさに、学校から解放された子供たちは楽しい夏休みに入ったばかりである。学校関係者もホッとする期間でもあるが、学区の中で生活する子ども同士の行き来は自由で頻繁である。親は仕事に行ってしまっている現状を考えると老婆心が先行しているお祖父ちゃんでもある。
 
 
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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