授業を観るとは?
授業を観察することである。観察の標的は児童生徒の学習姿勢である。児童生徒の授業での生態は「学校そのものの」であると断言したい。そのために、授業中の変容する児童生徒の瞬間を「観察する」ことが本務であると確信している。
校長が替われば(=変われば)学校が変わる。教員が変われば子ども(=児童・生徒)は変わる。この表現は「耳にタコ」である。しかし、本質が理解されていないのが残念である。
授業が変われば児童生徒が変わるのであれば、学校が変わる、と連動する。トップリーダーは、その時点で「どのようにしたら」授業を変える力を持つ教員を変えるかを考えねばなるまい。
集団での変容は外観では安堵するが、中身の変質を同時に期待しては危険である。集団が変わることは個の変容が顕著に表出した時にホンモノとなると考えたい。既に、当ブログで登載した小学校の学校長より昨日、メールが届いた。以下に紹介するが、「追伸」の行に注目して頂きたい。
個の変容無くして集団の変貌を期待してはなるまい。
お陰様で、大津小学校は元気になっています。1学期の締めくくりをしっかりしたいと思います。2学期にお越しいただいた時に、がっかりされないように努力します。 暑い毎日です。角田先生、お元気でお過ごしください。
追伸 『リベンジの彼』は、上昇気流に乗って、ますます頑張っています。
研究会での、小生の拙い話に真剣に聴き入る風景(写真)を学校長からいただいた。学校長の眼にも自校の変容の胎動が感じられたのかも知れない。
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