2013/07/12

「人材の育成」には、指導者の厳しい「感性力」が問われる!

 

 深い愛情を注いで、熱く諭して、勇気を促すだけでは『人』は育たない。

 ひねくれモン・いじけ虫・僻み性・臆病者・・・・、と自らを甚振ってみてもこんな症状が治る術はないようだ。医者にも治せん!!()

 「自ら課題を見つけ、自ら解決する力を養成する」のが現代・学校教育における要求されている指導理念と承知している。指導者(教員)に、「これを為すべし」と課されても所詮、絵に描いた餅に過ぎないような気がするのは自らの力量を翳してみてしまうからなのだろうか。現職の校長時代にも、孤室(=こしつ)で、独りで悩んだことも懐かしい。孤独と孤立が同居する校長室のことをこんな造語で玩んでいたいい加減な校長だったと自省もしている。

 ところで、人は何年草?

 1年草の花では無いことぐらいは誰でも知っている。小生はもう70年間近く「咲いている花」である。ご迷惑ではあろうが、まだ咲き続けている(笑)。萎んだり、枯れかけた時期もあったが、その都度、「人の言葉」で立ち直らせていただいた。育てて戴いた行為や言動に心から感謝している。現職でしか出来ないことが多いことも承知している。
 教員として『20年草』になった頃で大輪を咲かせる前兆が現れないと種も落とすことができないのではないだろうか。細やかな経験値である。授業を観察する鋭い視線の先には、将来を託して見たくなるような『20年草』が存在するのである。今回の高知市・広島市の学校訪問では、そんな逸材に遭遇した。老輩の視線がギラギラしたことは事実である。

 現場での「育成事業」に加勢できることを老輩は考えている。それは、「授業を観る(=視る・診る・看る)」ことでしか援助はできない。感性が鈍っていると、良いモノも良いモノとして活かすことはできない。そのタイミングは実に微妙である。ホンの僅かな時間のズレで「成長を促す」援助が差し伸べることができなかったことも少なくない。

 人材の育成は急務である。管理職の苦労に少しでもお役にたてるよう心して今後も学校訪問をしたいと考えている。



 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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