靄が掛かって鶴沼(散歩コース)の風情が味わえる朝の歩禅は何とも言えない。
15分遅れの出発は夜来の雨の後遺症を案じていたためであったが、水たまりは残ってはいるが歩行には支障はないと判断するまでの時間で遅れてしまった。
ここ数日、萩・津和野の豪雨被害のニュースをTV画面で追いながらその悲惨さに心痛し続けているので、昨夜の雨量等を「散歩が出来ない」なんて愚痴っては申し訳ない。歩き出して老夫婦の話材は、異常な気象状況下での集中豪雨であった。九州生まれの我々夫婦は、台風襲来を思い出すのが共通であるが、「今までに経験したことのない雨の降り方」との、気象庁職員の会見での言葉に驚くほどの想像を絶する降雨のようである。
そんな話題をしながら沼の畔のコースを歩いていると、すれ違う老紳士に声を掛けられた。毎日会う散歩人なので朝の挨拶だけは交わしていたが、呼び止められることはなかった。
「良いですね、夫婦そろっての散歩ができるのは。わしらも10年前までここを歩いていたんだよ。9年前に妻に先立たれて散歩も止めたんだ。2~3年前から独りで歩くことに決めて歩いているんだ。妻と一緒に歩いている時は感じなかったことが、亡くしてしまうとわかるもんだよ。二人一緒に元気で歩いてくださいよ。羨ましいなんて言ったら、あの世から妻が飛び降りて来て怒られちゃうよな。仲良く二人で歩き続けなさいよ」
イントネーションからも地元の人だとわかった。
1周が1.3キロしかない小さな沼であるので、この老紳士は数周されているようだ。周回すると確実に再会する散歩人である。
「先ほどは有難うございました。私たちは転居して3年目です。環境が変わって老脳が麻痺状況になったりして閉じこもり気味になりそうなので、二人で「早朝に」歩こうと決めたんです。50年も住みなれた土地からの転居なので苦肉の策だったんです・・・・。」改めてお礼の言葉を告げた。笑顔で頷いていただいた。
3年目を迎える当地での生活リズムに、何か新しい生命が生まれているような気がした朝である。帰路のコースで、「お名前はわからないし、お住まいも分からないけど、こうしてお話が出来るのは至福の時間ですよね」と、妻の問いかけにいつの間にか10名以上の散歩人と毎朝言葉を交わせる方々のことを思いだした。早朝の思いがけない「立ち止まり対話」で老脳にも新鮮な空気が運び込まれているような気分になり妙に納得することが出来た。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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