酷暑(=「猛暑日」と言うらしい)がこんなに続くとは!!
九州生まれの小生夫婦は、少々の暑さには負けない。自負し、豪語し続けていたが、35℃を超えるここ数日の気温の連続と、テレビやラジオから流れる「注意報と警報」が流石の盤石に鍛え上げられた(?)肉体にも不安が過り始めている(笑)。
連日の「竜巻情報」の提供にも閉口する。気温が下がらないままに、雨戸を閉めて竜巻の襲来に備えるのであるから室温の高度は上がるばかりである。エアコン嫌いとなると室内温度の調整は扇風機と団扇である。意地を張っているつもりは毛頭ないが、あの冷気に対しては拒み続ける老体であるのでやむを得ない。
注意報や警報が解除されると明るさの残る夕暮れに向かって雨戸を開ける。網戸から入ってくる涼風に自然環境の良さを実感する。目の前の栗畑を雉のつがいが歩くような大好きな緑地帯なのである。
参議院選挙の論戦は、「国民の目線」とやらの言葉とは裏腹に庶民の生活と遊離するような党利党益のための演説ぶりが耳に届いている。これからの自国の行く末を案じるばかりの高齢者となってしまったようだ。
今日の新聞で目に留まった記事は沢山あるが、その一つを紹介したい。
中高生の必需品になってしまっている携帯電話の存在感が、「学校の規則」を守ろうとする中学生の懸命な努力を空しく崩壊させようとする現状を、学校関係者はどう捉えるべきだろうか?
公衆電話を切り捨てないで
中学生 岡田 舞 (東京都 15)
私は自宅の最寄り駅に設置されている1台の公衆電話をよく使用する。私の学校は携帯電話が禁止されているので、学校帰りに特別な用事がある日は、親と連絡を取り合う。
しかし、先日私か利用しようとした時、公衆電話は壊れていた。私は大変困った。この事態に気づく人もおらず、どうすることも出来なかつた。近くに他の公衆電話はなく、そこで初めて数の少なさを痛感した。
最近は携帯電話が普及して、多くの人が所持しているため、公衆電話が使用される機会は少なくなっている。公衆電話を普段使わない人には、もはやそこにあることすら気づかないほど不要なものとなっているのではないか。し 私は、公衆電話は必要なものだと思う。それは携帯電話を所持していない人や忘れてしまった人などにとって利用価値があるからだ。少数派にしか役立たないものでも、切り捨てるのはやめてほしい。
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