2013/07/09

人材育成に懸命な『管理職の思い』を支えたい!


 

 教師の情熱と愛情に満ちた授業には安心感がある。

 そこにはオトナを信頼する子どもらしい眼差しがある。

 特に、中学校入学前の2年間(5~6年生)の指導は軽視できない。

 

 授業中は「教員と子どもの交信状況」を観察する。

 小生の講師稼業の本務は授業観察と考え、児童生徒と正対する位置を選んで立つことにしている。つまり、教員の発する情報に、児童生徒がどのように変化するのかを、その表情を追うことにしているのである。

授業観察後に、小生には一定の時間が与えられる。

 今回も訪問校で特設された会場に入った。生徒指導困難校(本校がそうであるかは定かではないが)の教職員には疲労感の上にストレスが積もっている。経験者としての直感である。そんな教員集団が面前に勢揃いの会場である。癒してあげるべきことは百も承知である。しかし、人の心を癒すことは得意ではない。自らが一番良く知っている。「癒せる」スキルの無いままに放談を始めた。

学校長の案内で校内を一周しただけで本校の現状は理解できていた。教育に関わる苦労度には学校間格差は大きい。穏やかな授業風景を観察するにつけ、ぬるま湯に浸かっている教員集団を相手にすると「檄を飛ばしたくなる」わが身の変身が小生の特徴であるらしい。この日のこの会場では言えそうにない。

 戴いた時間での話を終えて、「質問はありませんか」とのコーナーに移った。何と質問者がいるではないか?!それも1つでは無い。いくつかの質問に答えながら、日ごろの苦労を推測できた思いになった。

 翌日、別の要請訪問校の研究会に出講である。

この小学校の教員が参加することを学校長から聞いた。「生徒指導主事」という任を負っている教員であるという。出張のために自校での全体会(前日)で、小生の講話を聴けなかったという理由からだそうだ。

研究会を終えて、その生徒指導主事の教員にホテルまで送って貰えないかと願い出てみた。こちらには意図があった。宿泊ホテルに到着するまでの所要時間を確保したかったのは、小生の方であった。勤務校の現状を知ったからには、少しでも時間を確保して、個人的な話をしてみたかったのである。自校の研究会を出張のために欠席せざるを得なかった生徒指導主事の教員が語ってくれた。

教頭より「行って来い」と他校の研究会への出向を促したと言う。管理職の人材育成に対する配意に感激した。管理職には人材育成の要務がある。育成にはタイミングがある。そのタイミングを教頭職の発案に合わせることができたような自己満足の時間にはなった。

運転手を務めてくれたその教員に示唆できるような内容には至らなかった。しかし、勤務校の管理職(校長・教頭)の人材育成への意気込みは高く評価できる。この小学校とは再訪の約束がある。5~6年生の教室で観察した「愛情にあふれる授業」が他の学級にも波及できそうな小学校である。次回の訪問に期待が膨らむ思いである。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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