2010/07/18

早起きは三文の得?


  ~早朝の空に「富士山」~
 単純と言えば単純。
 されどやっぱりそう思ってしまう。小学校5年生で別れた祖母の「人生訓」には大きな影響を受けているのだと、この歳になってしみじみ感じるのは感謝の思いからである。「早起きは三文の得」と祖母に言われた小学生には「三文」が分からなかったことと「得」という意義が理解できなかったので鵜呑み状態で過ごしていた。

  三文・・・1文銭3枚。極めて価の低い意味。~の値打ちもない 二束~ ~小説 ~絵
 
成長するにつれて「三文」が非常に価値の低い(タダ同然)意味を知った。その頃は、祖母はもうこの世にいなかった。母は多くを語る女性ではなかったが、祖母のこの言葉に疑問を持っていた高校生は同じ台詞を吐いた母に向かって「早起きしたって儲からんよ」と言った。三文という金銭価値が限りなく「ただ(=ゼロ)」に近い状態だからと講釈をした。母は反論することもなく、頗るさり気なくこう言った。「ただより高い物はない」と。深意を探ることもしなかった高校生が、なぜか神妙な心で受け止めてしまったのはなぜだったのだろう。
 そんな話をしながら妻との早朝歩禅は4時半出発。
 突然、妻が「わぁ~、すてきー!」と指さしながら歓声を上げた。その先にはこの時期には珍しい霊峰・富士山が梅雨明けの空にくっきりと見えるではないか。『早起きは三文の得』?と思わずの二重唱して苦笑い。
 富士山を見たから「儲かった」訳でもない。今頃熟睡して、昨日の疲れを取って元気に目覚めるのが得な場合もあり得る。損得を勘定に入れて人生を考えるほど厳しいことはない。早朝5時の空に浮かんで見えた霊峰も、今、歩禅記ブログを認めている西の空にはその姿はこんなにキレイには見えないだろう。あの瞬間のちっちゃな感動と感激は、やっぱり貨幣価値には換算できない「得」があったように感じる。
 昨日の講演後の感動を今朝一番のブログに掲載する予定だった。変更して早朝歩禅の「得」を話題提供にしたのは「損得勘定」での決定ではない。時間を創って昨日の「講演後の感動」をご報告しますのでお楽しみに!どちら様も素敵な日曜日をお過ごし下さい。

追記:早朝5時15分頃の撮影です。陰がこんなにはっきり出るほどに日の出の時刻から時間が経っているという証です。もう本格的な夏の陽ざしでした。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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