2010/07/17

新聞を読んで・・・(3)


  ~これって「相撲界」と同じ?~
 現役時代に良く耳にした言葉。
 それは「学校の常識は社会の非常識」と言われている、と。今でもその深意まで理解できない「教員バカ」であることは事実である。しかし、本業から少しだけ距離を置いて、そして時間的空間を経た今、一般社会が言おうとしている意味が朧気ながらわかるような気になっていることも事実である。学校教育現場での起こり得ない事件や事故が今でも後を絶たない。その処置や事後処理の仕方が他業界からは解せないような展開があるとも耳に入ってくる。
日本大相撲協会がここ数年、多くの事件や問題を一般社会から非難され続けている。ついに業界外部から指導者を移入した。この業界は「15歳」(中学校を卒業して)で入門して来る少年たちが主役である。少年期から「親方」を親と慕いながら「部屋」では兄弟子の厳しい叱咤を受けながら、将来を夢見て日夜が修業となっているようである。良くても悪くても「そこでしか」通じない理屈や常識が全身に染み付いてしまうのは避けられない。『一般社会では到底考えられない』との尺度でも独り歩きして十分であろう。一般社会の常識が全てに優先されることも全面是認はできないが、それを「常識」と言うのであれば、各種業界だけの常識は「非常識」となってしまっても仕方あるまい。
そんな考えを巡らせながら朝刊のこんな小さな新聞記事が目に飛び込んできた。
 学校教育界の事件である。つまり「学校の常識」が問われているような内容である。ここに登場する学校は、特殊条件の下で運営をされている実情は多くの国民が承知している学校である。相撲界とは異業種ではあるが「将来の一本立ち」のための訓練と修業を主として教育していると考えれば大同小異。そこにも、その教育の長い伝統があり、その伝統が産み出した文化と成果を誇りとしている卒業生も多いことだろう。
 事件の発端は「虚偽の告げ口」だった(この記事からは)。
小生の目はそこで止まってしまった。なぜ?小生にも苦い経験が脳裏を掠めたからである。同じ「万引き」という行為であり、虚偽の発言に信憑性を感じた小生は、その「嘘」を受け止めてしまい、誤解のまま指導を続けたのである。そして、その万引きはその嘘の発言者の発案で友人(犯人とされてしまった)を誘い、自らが演じた行為だったことが後日判明した。
 「育てる」作業には「相互信頼」は欠かせない。つまり「信じる」「信じてみる」ことは基礎基本と言われる。信じたら裏切られた。その繰り返しは今でも学校教育業界では続いていることだろう。しかし、当事者にとっては笑い事では済まない。人一人の人権が踏みにじられたことに対してどんな償いができるのだろうか。こうした事件と遭遇する度に、一人の生徒を苦悩のどん底に追いやった遠い昔の苦い経験が蘇ってくる。
 この記事の主人公の今後の人生が、このことを「糧に」立派に花開くことを願うばかり。これは、未熟だったあの頃の一人の教員の単なるエゴだろうが、祈らずにはおれない。

P.S. 今朝は4時半から早朝歩禅。1時間の早朝の空気で身も心も(笑)清々しい気分になりましたよ。日の出時刻の空気は、やっぱり美味しかったです!!・・・・以上報告終わり

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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