テレビを観る。毎日がサンデーになってしまうと余程しっかりした生活基盤が無いと、思考回路に電流が流れる状態にはならない。つまり、無目的に時間を費やしてしまうことになる。趣味や生き甲斐があると良い、とはこのことか。無趣味なこのオールドマンにはサンデー状態が幾日も続くことは無能さを軽蔑されているように思えて堪らない。
何もすることがない日本人の大人にとって大きな玩具は、やっぱりTV?
今日は何もすることのない。外は梅雨の中休みなのかわからないが出歩く気分にも慣れそうにない程の強い陽ざし。天気予報では午後は30度を超える(真夏日)と言うではないか。とても外出する意欲などない。そんな時ソファに座って目の前のTVに見入る。このオールドマンが驚くのは夥しい番組の数々。番組選びの焦点が定まらない。しかしながら、退屈で仕方がないのだから手元のリモコンで「観たい」番組を懸命に探す。ワールドカップの活躍の話題と大相撲協会の不祥事の話題で満載である。
朝刊で「う~ん」と頷いた記事(掲載)を思い出した。その記事の中に日本人文化をえぐるような表現があった。資料化するためにタイトルを考える。『これだけ変わるということは、また変わるということ』にした。
テレビ番組の構成がその土壌を創り、勢いを煽り、「国民の声」とばかりに声高に叫ぶ。批判や非難は誰にでも出来る。「評論家」育成のためにテレビなどのメディアあるのではない。今回のように大健闘したサッカー日本代表選手を「褒める」ことが、決してその場凌ぎであってはならない。そして、彼らのその大きな頑張りを「最高の贈り物」として次世代に残すことが国民の共通認識でなければなるまい。
◎何もすることのない一日がやっと終わる。夕食も終わった「ぼやき」の爺は『薄暮の散歩』に行ってまいります。
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