2010/07/06

『湯禅記』~全盲落語家のお話~

  ~今日は京都・舞鶴まで~
 いつも通りに4時に起床して『腰湯』を満喫しながらラジオ深夜便を聞く。
 出演者は「桂福点」という初めて耳にした落語家の名前だった。話題の展開にどっぷりと填っていく自分に気づきながらも心引かれる時間となった。全盲の落語家であると言う。中学生の時点で全盲の状態になられたというご自身の話を聴きながら、ご苦労や辛さを乗り越えて「新しい学び」への連続した挑戦意欲に感動してしまった。凡庸な自らと我が儘と自己中心的な人生を恥じる思いに行き着いてしまった。
 「目は口ほどにものを言う」と言いまんねんけどな、耳も口ほどにモノ言いまっせ!
 視力がゼロの世界に生きている人たちの「耳への思い」を、今更の如く恥じ入って聞いた。今まで見えていた「可愛い女の子」の姿が見えなくなった時は、真剣に自殺を考えた。思春期の苦労話を「笑い」を添えての明るい語りには涙がこぼれた。そして、耳を最優先に考えた「音楽療法」を取り込んだ落語に取り組んでいると言及された。音楽療法士の資格も取得されたとのこと。聞こえた「声」で、怒っているか喜んでいるか「すぐわかる」との説明には、目が見えていながら「教室の子供達」の表情を読み取れなかった教員時代の我が身を思い起こせば耳が痛い話であった。
 亡き母が幼い頃、良く話してくれた塙保己一という江戸時代の盲人国文学者の話を思い出した。「目開き(めあき)は不自由じゃのう」とお弟子さん達に向かって言う台詞を本人に真似るかのように発してくれた母の顔が浴室の窓に映った。
 遠隔地への出講の朝。
 素敵なラジオ番組とまた、出会った。全盲の方のご苦労に比べれば小生の苦労など大したことはない。出来ることを出来るだけの力を発揮して、心してお務めを果たしてまいりましょう。福点さん、良いお話しを有難うございました。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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