~故郷・九州の被害が心配~
「毎日が休日」だと曜日の感覚麻痺も悲しい?それ以上に哀しいことがある。それは長期に亘って勤務した「学校教育」の現場感覚が日に日に疎くなっていることである。あと1週間で夏休み?ホント?
今日は朝から妻の要望で隣町にある大規模の農家直結野菜販売所に車で向かった。途中に高校と中学校がある。晴れ間の運動場は全校生徒で溢れていた。どうやら球技大会のようだ。長期休業の直前になると全校生徒が愉しめるレクリエーションが計画される。そんな現場感覚を呼び戻しながら、「もう、そんな時期か!」と麻痺した現場感覚に気付いて唖然とした。
帰宅したら郵便物が届いた。
国民健康保険料の納付決定通知書であった。封を切って中身を観てビックリ。目を疑うのが異常なのか?介護保険料も加算されているのは加齢の証としても・・・。納入しない等とは言っていない。しかし、年間に支払う保険料の額には愕然!市当局の趣意書(写真)を読みながら、こんな時代背景の中でこれから生きていくのか、と神妙な気持ちになってしまった。小生の所だけに届けられた書類ではない。どこの高齢者の家庭でも、やっぱりため息が出ているのだろうか。
茅ヶ崎は雨量も少ないが、九州の豪雨被害が連日ニュースとなり大変心配だ。幼い頃、「こうして一暴れ(豪雨)が来ないと梅雨が明けない」と農家の人たちが話しているのを思い出しながらも、ただただ被害の小さいことを案じるばかりである。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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