~教員には「夏休み」なんか無い!
教員になった理由は?「夏休みがあるからです」と答えた同期の教員が真っ青になった。その光景を見て尋常ではない雰囲気に触れて小生は真っ青になりました。23歳でした。その小生の姿が今、はっきり浮かんできました。
初めて教壇に立ったのが私立高校でした。新採用教員が理事長室という怖い部屋に集合させられました。理事長さんの優しい問いかけは「どうして、先生になったんですか」でした。トップバッターの同僚が本音(笑)で軽く答えたのだと思います。しかし、その瞬間に理事長室が凍りつくような状態になってしまったのです。幸か不幸か小生は4番目の席に座っていましたので、思考する時間の余裕もありましたので同質の答えはしなかったと思います。しかし、緊張していてどんな応えをしたのかが全く記憶にありません。
「夏休み」という言語は教員には適用しない。
子供達専用の業界用語である、と言う説明を学校長から受けました。大学で「夏休み」を過ごしたばかりの「出来たてホヤホヤの教員」には意味がしっかり掴めなかったのが正直な感想でした。
あれから43年。その間、我が子が愛した「夏休み」という言語は今では孫たちが愛用しています。「おじいちゃん、夏休みになったら茅ヶ崎に行っても良いですか?」と電話を受けたばかりです。「良いよ。夏休みはいつから?」と聞き返す祖父の姿は、43年間で人生観の変容と共にすっかり老け込んでしまいました(笑)。
学校は夏休みになったようです。先生方には一般社会人と同様に「有限・夏季休暇」が特別に与えられます。上手に活用して休養を取っていただきたい。しかし、なかなか静養できるほどの精神的ゆとりはありません。緊急事態が発生すれば職場に飛んで戻るようになります。生き物である人間であれば当然であるとは言え、「起きて欲しくない時」に限って事件や事故は起きるモノです。そんな実体験も浮かんでくる朝です。
日本列島、時は正しく(子供達の)「夏休み」。必ず思い出す言葉を、今朝も思い出しては苦笑いです。事故や事件に巻き込まれずに児童生徒全員が無事に「夏休み」を楽しんで学校に戻ってきてくれることを「蚊帳の外から」も祈っております。
追記: 今日は定期「鍼診療日」に付き、早朝歩禅は「夏休み」(笑)です。7時半には車で八王子まで行ってまいります。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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