~「少しでも歩かないと」・・・~
早朝歩禅を復活させてから毎朝出会う老婆。
「今朝はどうなさったのかしら?」と妻に声を掛けられてから、「そうだね、会わないね」と夫も毎朝出会う手押し車の老婆の姿を目で追った。老婆とはとても失礼な表現であるが敢えて固有名詞の代用として表現することを許されたい。
昨朝のこと。手押し車の車輪の直径より大きい段差を越えようとされる場面に遭遇した。咄嗟に小生が先回りして引き上げようと引っ張ってあげた。「あぁ、ちょっと待ってください。自分のペースでやらないと転ぶんですよ」と大きな声。ハッと思って小生は手を引いて「ゴメンナサイね」と声を掛けた。「ご親切は有難いんですが、何せ足腰がこんな状態だから」と、反対に小生に気遣いをしていただいた。
実はこの老婆は近所の親しい「お婆ちゃん」なのだ。しかし、こんな早朝に独りで外出されるとは・・・、と小生夫婦は認知症が始まったのかな?と敢えて関わることを控えていたのである。手押し車と一緒にコースを変更してゆっくりと歩き出しながら「角田さんの奥さん?」と妻の顔を覗き込みながら老婆から声が掛かったではないか。「さっきのご親切はご主人だったの?」と言葉が矢継ぎ早に飛び出した。小生の誤解だったのだと恥じ入ってしまった。心配なので妻が「世間話でもしながら一緒に歩いてくる」と申し出たので、二人から離れて小生一人で自宅に向かった。
帰宅後の妻の話では、日中が暑すぎるので早朝の時間を選んでいるとのこと。そして、同居する長男一家に少しでも面倒を掛けないように「少しでも歩く」ことを心がけているとのこと。齢80歳を越えている人生の大先輩。自分で出来ることは自分でする。小生の親世代の人生そのものである。見習うべき哲学だ。早合点して「認知症では?」等と何と失礼なことを勝手に判断したモノかと反省しきり。今朝はホンのちょっと遠回りして老婆の家を見に行った。雨戸が開いていなかった。体調でも崩されていなければ良いが、とまた余計なお節介根性が頭を持ち上げて来たので夫婦で苦笑。何か大きな人生哲学を教わっている嬉しい気分になった朝であるが、お元気かどうかはやっぱり心配!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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