~新幹線車中にこんな光景~
昨夕には嘘のように元気復活した爺。
やっぱり「刺激」が必要な身体なのか。大失態をしでかして先方にはご迷惑を掛けているというのに、「すっかり元気復活」なんて!ホントに能天気な性格なんだ、と今朝も自覚せざるを得ないところ。
定時の4時に起床して日課をこなしてこの時間。
ところで今日は少々愚弄な話題にお付き合いいただきたい。
小生の退職後は「旅人の時間」を過ごすことが多い。中でも新幹線の車中生活は、一つの行程でも2~6時間が標準となるだろうか。疲れてグッタリとしている時間帯も多いが、目も頭もしゃっきりしている時間もある。
今回の旅でビックリ(?いやガックリ)したことがある。
名古屋から乗ったのぞみ号の車中。カチンカチンと頗る小さな金属音(らしき)が耳に付き始めた。「何の音だろう?」と、聞くとは無しにその音の方向に耳は向かう。1列前の3人掛けの窓側から聞こえていることがわかる。中年ぐらいの男性が一人だけすわっているので彼が発信源らしい。
ゴミを捨てることを大義名分にして席を立った。
直ぐに判明。彼は「爪を切って」いたのである。新聞紙かそれ用の受け皿があるでもなしに足下に「切られた爪くず」は落ちているのである。ゴミを捨てて自席に戻る頃までもまだその音は続いていた。さらに驚いたのは手から足へ移って居るではないか。20本の「指の爪」を切り続けていたのだ。この爺のような旅人ではない。これは服装と持ち物で一目瞭然。会社人としての出張の往路か復路だろう。しかし、車中で爪を切るか!?この紳士には年齢相応の常識はないのか、と苛立った爺。
ずっと以前に「若い女性の車中でのお化粧」が世論にデビューした。是非論ではない。その時点でも論ずる以前の問題として話題にもしたくなかった。それでも数回は注意した経歴の持ち主でもある。しかし、その時の後味の悪さは思い出しても腹が立つほど。
今回も起ち上がったついでに・・・、と思いつつも鉾先を納めてしまった。哀しい現状が多すぎて誇れるべき「人間」という種族の体たらく度に今回は落胆計がどん底まで下がった気分になってしまった。倫理観や道徳性はついに「日本人」から遊離してしまったのか。切り落とされた爪が椅子に残っているか、足下に散乱していると想像してみてくださいよ。快適な旅の保障は?
皆さん、どう思います?
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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