~ラジオも「選挙速報」一色~
東京でも横浜でも、この間、マイクから発する掠れた声がスピーカーを通して街路樹の遮りに臆することもなく通行人の耳を劈いた。「うるせ~な」と嘯く若者達。立ち止まって耳を傾ける老人。タバコを吸いながら歩く男性が隣を歩く女性に向かって「本気はわかるが、選挙後もこの熱意を忘れるなよ、って言いて~よ、な」と話しかけて通過した。女性の応えは聞こえなかったが、心意に妙に頷く小生。これは、仕事のために出向いた大都会での光景。
今朝も定刻に目を覚まして、いつものようにラジオのスイッチを入れた。
選挙速報も大詰めになっていた。政治の態勢が変わるのだろうか?耳を傾けながら日課をこなす。いつもより朝刊配達が遅い。最新のニュースを載せるための遅延なのだろう。
高校生時代に、恩師から「政治家になったら?」と言われた。意外な言葉に驚いたことを昨日のことのように思い出しながら苦笑する『腰湯』の時間。恩師は何を根拠にあのような発言をされたのだろう。解せないままにわが人生は峠から転がり落ちている日々になっている(笑)。
国民の目線。キレイな語呂合いであるが、実践するのは難しい。
子どもの目線に立って授業を展開する。ここしか知らない業界でも良く耳にする表現である。難しいが「やるしかない」のが教員の責務であろう。教師軍団も政治家軍団の街頭遊説を耳にして「心に期すること」が多かったであろうと期待したい。
荒れた大相撲初日も熱かったサッカーワールドカップ決勝戦も・・・・。ニュース価値は「比較」観でこんなにまで温度差があるのか。しみじみ感じる朝である。
◆お断り 写真は今回の選挙戦ではありません。タイトルに符合させるために掲載したモノです。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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