~「相手の目線で」は・・・難しい~
わかっていたつもり。
九州から中国にかけての広範囲で集中豪雨になっている。決してニュースをいい加減に観たり聞いたりしていたわけではありません。犠牲者が出たことも知っていました。こんな時、学校を預かる身の苦しさも分かっていました。
そんな状態の私の目に、「広島県世羅町」という特定地名が目に飛び込んできました。犠牲者のお一人(行方不明)がその地の方だとわかり、我に返りました。広島市内の小学校現場と関わりはじめた頃のある小学校に勤務されていた教頭先生。そのご出身地であることに気が付いたのです。そこから山陽本線で広島まで通勤している、と聞いて知っておりました。
大丈夫だろうか。
恥ずかしながら遅まきの「お見舞いメール」を送信しました。そして、慌てて多くの校長先生方にも同様に携帯メールでお見舞いを申し上げました。相手の目線で、と、7月12日の当ブログでは偉そうに「政治家」の皆さんに向けて発しました。いつまで経っても拭い去れない教師言葉で「目線論」を発したことが何とも滑稽です。恥ずかしい限りです。
北九州の知人にも、山口の校長先生にも慌ててお見舞いメールを発信しました。
恥の上塗り?広島市内の校長先生方はじめ送信した方々全員から「ご心配いただいて有難うございました。」との丁寧な返信が届いたのです。やっぱりホンモノの能天気であることが、またまた(笑)再確認できました。有難うございました。
今日は、恒例の鍼診療日。帰宅して午睡。目が醒めてパソコンにも携帯電話にも沢山の御礼のメールが着信していました。恐れ入ります!!しきりに今回も反省している爺でございます。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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