2010/07/08

7月7日は『七夕祭り』




★~短冊に「願い」を託した日~
 西日本の上空だけで「織姫と彦星」が会えたの?それってどういう事?
雨が降らないように祈った幼い頃の七夕祭りだった。いつの間にかそんな悠長なドリームは消えかかってしまっている。夢を託した幼き日々が懐かしい。コマーシャリズム(商業主義)が優先され「経済の活性化」が人々の生活を潤わせるモノだとの意識が浸透している。「七夕祭り」も、近くでは「湘南・平塚七夕祭り」、遠くでは「仙台・七夕祭り」という風に「商売渦」の中で観客数の多少で煽ってしまっている。肝心な「7月7日=七夕祭り」という当日意識も薄らいでしまっているのではないだろうか。そんな嘆き節を唸るのは、やっぱり加齢症候群と言われる所以か(笑)。ともあれ正真正銘の七夕祭りの日であることは事実。
◆~舞鶴での講演~
 舞鶴は妻が引き揚げ船で帰ってきた港。
 満州に居た妻の一家は終戦と同時に一家で引き上げてきたらしい。戦争の爪痕を懐古するのを嫌った義父。思い出したくもない光景だったんだろう。ただ一言。義父が義理の息子に語ったことは「舞鶴の港で娘は助かった」と。聞き出すのに苦労をした。晩年、お風呂に入れるのを義理の息子が分担した。背中を流しながら聞き出したのが、たったそれだけ。今回は仕事で訪れたので次回は妻同伴で訪問したい。郷里・熊本と「細川つながり」を感じたのは早朝散歩で訪問した舞鶴城址であった。
 講演は対象が日本公文教育研究会舞鶴事務局下の指導者の皆さん。 全国展開で実施している講演会ではあるが、「そのご当地カラー」があり、準備して行っても講演の展開が全くズレる時がある。当然ながら「良い方向でのズレ」ではあるが、今回も展開は全く予期せぬ方向へとずれ込んでしまった。聴講者はどんなご感想だったのだろうか。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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