2010/07/19

喜びの「お裾分け」


7月17日(土) 講演を終えて、・・・びっくり
  ~もう10年ばかり前の約束?~
 開校したばかりの校長室から小生は「確かに電話をしました」。
『茅ヶ崎郷土いろはかるた』を普及されているグループの方を知った校長として、是非とも「自校の子供達にも」との思いで貸し出しのお願いを電話しました。しかしながら、先方のご予定との調整が合わずにいつの間にか断ち切れになってしまったようでした。お願いした当事者であった小生も、今ではもうすっかり忘れていました。
 公民館事業の講座を終えて部屋を出ました。
講座の会場にお越しになっていた老女から「角田先生、その節はお役に立てずにゴメンなさい」と、声をお掛けいただきました。そして、事情のご説明を受けました。朧気だった記憶が蘇りました。立ち消えになっていた「かるた」が老女の両手にあるのが見えました。手渡しを受けた瞬間、10年余りの長い時間がどっかへ吹っ飛んで行きました。「校長先生からの依頼にお応えできなかった」との丁寧なお詫びに胸がジーンとなりました。目頭も熱くなってしまいました。講演会場の地区にお住まいらしく、回覧板で小生の名前をご覧になったのだそうです。そして、その手作りの「かるた」をお渡しになるために、この講座をわざわざご聴講頂いたとの説明には、その誠意に恐縮しつつも感激の余り言葉に詰まってしまいました。
 「お詫びをお受けする」どころではありません。恐縮の思いで頭が下がりましたが、今となっては小生には校長室もありませんし、児童との接触もありません。しかし、大事に受け取りたい心境になりました。幸いにも、会場にはその当時、同じ小学校に勤務していた教員がいました。しかも、当時の教員は現在、この公民館に隣接する小学校の校長を務めているのです。偶然というのか、この「かるた」とのご縁というのでしょうか。老女の住んでおられる学区の小学校の校長室で「かるた」が生きることになりそうです。
 自宅に持ち帰って10年ぶりに「かるた」との再会を果たしましたので、近日中にその校長先生にお貸しすることにします。そのことも申し出てお許しを得ました。
 こんな感動と感激には、そう出会うモノではありません。小生より遙かに人生の先輩である方々の「全てが手作り」に成る正真正銘の地元版かるたです。
 あれから10年も経っているのに小生の名前をご記憶いただいていたこと。思わず背筋がシャンとした瞬間でした。

追記 読み札と絵札の一部を写真版にしました。ご覧下さい。茅ヶ崎の今日は、この「かるた」で言うならば「あ」の読み札になります。絵札もご一緒にご覧下さい。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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