~そんな時は「歩きながら」・・~
午後3時。陽ざしが思ったほど強くない。午後の陽ざしがこの程度なら、と妻を誘って歩禅に向かう。1時間歩けば大体7000歩となる。その歩数を当て込んで「歩きながら」「喋りながら」考え事を深めようと出発した。
午前中の郵送物の中に原稿の執筆依頼書が入っていた。
多種多様な分野からの依頼がある。在庫の少ない原材料を原稿という「商品」に加工することは大変厳しいことである。商品化できそうなジャンルなら尻込みすることなど無いが、そうでもないとなると大脳が思うように動かない。ましてや老脳になっている。請け負う原稿のジャンルの語彙数も貧相になっていると「請ける」事への躊躇も先行する。
そんな時は外気を吸うことが一番。
とは言え、『無い袖は振れぬ』状態から簡単に脱却できるほど楽な問題ではない。しかし、妻との他愛のない話題からヒントを得ることは意外と多い。心密かに期待しながら曇り空で風もあり歩禅日和として意気揚々と出発した。
世の中はやっぱり甘くない。30分も歩かない内に日照りがもの凄くなるとは皮肉だ。強い陽ざしには日陰が味方なのであるが、太陽の位置はまだ高い。日没までの太陽光線は当分の時間は強そうだ。途中から話題も途絶えた。進路を変更して出来るだけ日陰のありそうな通路を選んで帰路にした。
週末に講演することになっている公民館の前を通ることになった。余りの陽ざしの強さから避けるために公民館に「挨拶がてら」の訪問をすることにした。またまた予定を変更である。偶然の偶然は不思議なモノ。小生が担当する講座の打ち合わせをしていただいている時間に的中してしまった(苦笑)。担当者の方たちも館長も驚いてしまったようだった。実は、この館長は小生が23歳で教壇に立った時の「第1回生」の教え子なのである。この4月からここの館長として着任。週末には業務として小生の講座を担当する羽目になってしまったのだ。これも運命という巡り合わせである。
打ち合わせのお邪魔を終えてから、再度、帰路に着いて自宅到着。
外気に接して他者と会話すると大脳に確かな刺激を貰える。依頼原稿の方向性は朧気に涌いてきたような気がしてきた。原稿の締め切りはまだずっと先ではあるが、「先送り」が苦手な性分だ。せっかちとも人は言うらしい(笑)。構成を考えながら素案を練ることにしよう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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