~意識と自覚が「人間性」を創る?~
優しい長兄としっかり者の次兄の下で誕生した小生は、三男坊の「甘えん坊」。他にも二人の姉がいますが、だらしない三男坊は姉たちにも良く面倒を看てもらいました。小生には身勝手な性格形成論があります。それは「性格・後天性論」です。同じ親から誕生しても「産まれたポジション」(順番と環境)によって若干のズレが生じて「ホンとのきょうだい?」と聞き直されるほどに違う性格のきょうだい(=兄弟・姉妹)になってしまう。この世に生を受けて出てくる順番も、大袈裟に言えばその人の「運命」なのでしょうか。
お向かいの若夫婦に待望の第二子が昨日誕生したそうだ。
奥様のお母上がお手伝いに見えているので判明したと妻の話。第一子が来年4月には小学校に入学するという。一人っ子で育った我が妻は、その若い母親に「第二子を早く・・」と余計な忠告を良くしたと言う。「きょうだい」のいない寂しかった自分の人生を思い出して語ったのでしょう。6年間を「一人っ子」で育ったお兄ちゃんの将来を案じるようになっていた若い両親に待望の第二子誕生。予定日の出産だったそうだ。
夕方遅くまで遊んでいる子ども集団の中に一際大きな声を出して遊び回っている第一子の声と動きに「赤ちゃん誕生」の歓びが全身に漲っていたそうだ。「お兄ちゃん」になった興奮が無意識の意識として新たな性格形成の産声を自らあげたのでしょう。嬉しい話です。
産まれて初めて過ごすお祖母ちゃんと父親だけとの数日間。母親ベッタリだった第一子が「母親離れ」する絶好の機会ではないだろうか。近所の住民として温かく見守ってあげたいと、考えてしまうお節介なお老夫婦の朝の風景でした。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿